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高野房太郎


米国桑港通信(4)





米国桑港通信第四回(〔1888年〕六月三十日発)〔1〕

O. F. J〔T〕生

共和合衆両党正副大統領候補者撰挙会〔民主・共和両党予備選挙〕〔注1〕 曩〔さき〕に現大統領クレブランド氏〔Grover Cleveland、第22代および第24代大統領、民主党〕 が其教書を国会に送りて、其自由貿易主義を発表せしより、本年大統領改選に際し共和合衆〔民主共和〕両党の争点は、専ら自由保護両貿易主義の争ひに帰着せり。故に本年大統領選挙の結果は以て米国人民の貿易上の意向を知るに足る者にして、我々外国人に執りては其有する所の関係尠なからざるなり。余を以て之を見れば、此選挙の結果たる素より今日に於て予言し得べきにあらずと雖も、若し余にして外人たるの地位を離れ、深く米国の事情を探り両主義の得失を考究せば、余は今日に於ては勢ひ保護主義に左袒〔さたん=味方〕せざるを得ず。米国今日の有様に於ては、決して自由貿易主義を行ひ得べき者にあらず。否行ふべき者にあらざるなり。然れどもクレブランド氏四年間の在職中別段仕出来したる事はあらざれども、又其欠点の少なかりし為め、人民の氏を愛する気向は亦盛なる者なれば、或は其再撰せらるゝやも難斗〔はかりがた〕けれども、尚仝氏は今日に於て其主義を断行することを得ざるべし。何となれば、一方には合衆〔共和〕党の激烈なる反対あり、他方には当時其頭角を露し来りたる所のアメリカン、パーチーの在るあれば、其事を為すに当ては深く意を用ふべき者あればなり。已に本月上旬ヲレゴン州に於て国会議員の撰挙を開きし際、共和〔民主〕党は合衆党の為め大に打破られ、ヲレゴン全州を挙げて殆んど合衆〔共和〕党候補者の掌中に帰せしめ且ヲレゴン州の代表者をしてセント、ルーイス大会に於て其不平を鳴らすに至らしめしが如きは即ちクレブランド氏の教書中ヲレゴン州の大産物たる羊毛を免税の課目中に加たるの結果にして遂に合衆〔共和〕党をして“Grover found a little lamb in Oregon." “Our Democratic friends found the wool short in Oregon."等の言を発せしむるに至れり。兎に角本年撰挙の結果は我々が尤も刮目して見べき一要事にこそ。

〔さて〕共和党は去る五日をもって其候補者撰挙会をセント、ルーイスに開けり。而して其撰挙の結果は予期の如く全会一致を以てクレブランド氏を再撰せり。副大統領候補者撰挙会に於は其候補者としてサーマン、グレイ、ブラック三氏を撰挙せる各州の代表者の間に於て烈き争ひありしが其極サーマン氏多数を以て撰挙せられクレブランド氏と共に本年の撰挙場裏に馳駆〔ちく=奔走〕する事となれり。而して此撰挙は二日を以て終りたり。クレブランド、サーマン二氏当撰の報の桑港に達するや当地の共和党は直ちに其祝意を表して大砲廿発を放ち夜に入りては党員隊を成し花火を打揚げ楽を奏し市中を練り廻し以て其党威を示せり。

合衆党は去る十九日を以て其撰挙会をチカゴに開けり。曩〔さき〕に彼のブレイン氏が書を欧州より致して其候補者たることを辞する時各州競ふて其候補者を出さんとし其数は十余名の多きに達するの有様なりしかば本年の撰挙会には定めて激しき争ひのあることならんと皆信じ居りたりしが撰挙の当日となり候補者として各州より群り来りたる人を見ればヲハイオ州よりはシヤーマン氏、マツサチユセット州よりはアルジヤー氏、ニユーヨーク州よりはデピユー氏、インデアナ州よりはハリソン氏、イリノイス州よりはグレシヤム氏、カンサス州よりはインゴルス氏、カリフホルニア州よりはブレイン氏、アイヲワ州よりはアリソン氏、コンネクチカット州よりはハウレイ氏、ウイスコンシン州よりはラスク氏等なりしが第一回より第三回に至る投票に於てはシヤーマン氏尤も多数を占めたりしが其第四回を開くに当りてデピユー氏は遂に其勝算なきを知り其名を引きたりしかばニユー、ヨーク州の七十弐個の投票は更にハリソンに投ずることとなりたればハリソン氏巍然〔ぎぜん=ぬきんでて〕其頭角を露〔あらわ〕し来り遂に他の諸州の選挙者をしてAnti-Harrsonなる一連合をなして其撰挙を拒まんとするに至れり。(未完) 『読売新聞』明治21年7月24日付


米国桑港通信 第四回(昨日の続き)

O. F. T.生

斯くて四回五回の撰挙終るも未だ誰人が当撰せらるゝかを定むるに由なかりし此際、彼ブレイン氏が若し此撰挙会に於て一大多数を以て撰挙せらるゝならば進んで候補者たるべきの報達するや、始めより非常の熱心を以て其州の全票を仝氏に投じ居りたるカリフホルニア州は大に其勢ひを得、第五回の投票に於てはブレイン氏稍其勢を得来りたるが如きも、一方には他の諸州が頑然〔がんぜん=頑固に〕其人を守りて敢て譲るが如き有様なければ、他に何等歟〔なんらか〕の手段を運らすに非らざるよりはブレイン氏をして一大多数の投票を得せしむるに由なきを以て、ブレイン派の人々は其日の土曜日なるを幸ひとし次回の投票会を次週の月曜日迄延すことを主張し、遂に満場多数の賛成を以て第六回の投票を延すこととなれり。此一日の延引はブレイン派の人々には随分都合好きことなりしが其非常の盡力を為せるにも拘らず彼シヤーマン、グレシヤムの派更に其歩を譲りてブレイン氏に与みするが如き有様無し。然れども一般の景況に於ては、第六回の撰挙に於てブレイン氏多数を制するの有様なりしが、第六回投票会の当日に至りブレイン氏断然其候補者たることを辞するの報来りたれば、遂にブレイン派の人々も其票をハリソン氏に投ずる事となれり。斯くして八回の撰挙に至り遂にハリソン氏五百四十票即ち全半数に超ゆること百廿七票を得て、合衆党の大統領候補者に撰挙せられたり。此撰挙終るや直に副大統領の撰挙会を開きニユーヨーク州のモルトン氏五百九十一票即ち全半数に超ゆること百七十八票を得て当撰し、開会日六日にして爰に合衆党の候補者撰挙会を終れり。今左に大統領候補者撰挙会の投票を記さん

    
人名第一回第二回第三回第四回第五回第六回第七回第八回
シヤーマン二三一二四九二四四二二一二二四二二二二一八二一七
アルジヤー 八一一一六一三一一三六一四二一五七一二〇一〇四
デピユー 九九 九九 九〇     
ハリソン 八四 九五 九四二三一二一三二二六二七八五四〇
グレシヤム一〇九一〇八一二三 九八 八七 九六一〇三 五九
インゴルス 二八 一六      
ブレイン 三五 三二 三五 四二 四七 四〇 一五  五
アリソン 七〇 七五 八三 八七一〇〇 七五 七六 
ハウレイ 一三       
フイルトラー 二二       
リンコルン  三  二  二  一   
ラスク 二五 二〇 一五     
フエルプス 二四 一八  五     
マクキンリイ  二  三  八 一一 一四 一〇 一六  四
ミルラー 新出 二      
フホレカー  新出 一  一  一   
ドヲグラス  新出 一    
グラント   新出 一    
ヘイモンド    新出 一   
全投票数八百三十四票

此報の桑港に達するや当地の合衆党は共和党と仝じく大砲を打上げて其祝意を表し更に其夜仝党の示威会を開けり。此会に列せし人員は無慮七千の多きに達し其市中を練廻れる有様は曩〔さき〕に共和党のなせし比にあらず。其行列は五丁に続き五隊の楽隊を備へ各の其会合名を記せる行燈を携へ而して其行燈の裏面には“Down with Free trade"(其意、自由貿易を肩にして大統領の席を下れ)〔これはやや意訳に過ぎる。「自由貿易をぶっ潰せ」くらいが適当であろう=二村記〕 “Free trade means Cheap labor"(自由貿易とは廉価の労力を意味す) “Democrat serves the interest of Europe; We support the interest of America" (共和党は欧州の利益の為めに労し我党は我国の利益の為に労す)“No red flag for us; the American flag is good enough"(赤旗何の要かあらん、米州旌旗〔べいしゅうせいき=アメリカ国旗〕は以て我国の利益を増進するも充分なり) “American banner will knock spots of red bandana"(米州旌旗は以て赤旗を打斃すに足れり)等の悪口を記し市中を練歩行きし有様を以て桑港に於ける合衆党の勢力は共和党に倍するを知るに足れり。

ハリソン氏撰挙の結果各地に報ぜらるゝや皆此意外の結果に驚かざるはなき有様なりし。各地の党員はブレイン氏候補者たる事を辞せざるの報を得や皆撰挙の結果は無論ブレイン氏の掌中にありと想定なし居りしに図らずも此の報を得て皆一驚を喫せり。ハリソン氏が甞て支那人拒絶條令に反対せし事実は今日に於て稍〔やや〕仝氏の勢力を減ずるの掛念なきにしもあらざれどもこは専ぱら太平洋沿岸諸州に対する問題にして而も本年撰挙の争点は自由保護両貿易主義の争ひにあることなれば、甚だしき影響も及ぼさゞる歟。今当地の党員の云ふ所を聞けば仝氏は永く政事社会にありたりと雖も、醜行失策の其名を汚す者更になく、熱心保護貿易家たり廉潔なる政治家たり。正直なる兵士たるの名誉は以て我全党の望を繋ぐに足れり。且今日迄殆んど共和党の有たりしインデアナ、ニユヨークの両州はハリソン、モルトン両氏ヲ[を]撰挙せし結果として我党の有となすことを得べし。故に今日に於ては合衆国の東北部は無論我党の有たるべきなりと。此論果して当を得るや否や、余之を知らざるなり。兎に角ハリソン氏の祖先が米国独立の戦争に於て顕したる赫々たる功名と、氏の伯父が已往の大統領たりしとの名誉は氏の名誉をして一層の光輝を増さしむるものゝ如し。知らず米国中原の鹿、果して誰が手に落るか。今より四ヶ月の後に至りては各党員の喜憂は其顔に顕れ来たらん。

『読売新聞』明治21年7月25日付




【注】
1) 高野房太郎は、この文章で、The Democratic Partyを共和党、the Republican Partyを合衆党と訳している。 本稿の共和党は、いま定着している訳語なら民主党であり、合衆党が共和党を指していることにご注意いただきたい。冒頭部分についてのみ注記した。本稿は、ひとつの訳語が定着するまでの歴史的史料としても、興味深いものがある。
2) この大統領選挙の結果は、総得票では劣った合衆党(共和党)のハリソンが勝利を収め、第23代大統領となった。
3) 初出は『読売新聞』明治21(1888)年7月24日、同25日。〔 〕内は二村が追加したもの。なお、原文には句読点がほとんど使われていないが、ここでは読みやすさを考慮して句読点を加えた。また、変体仮名は仮名に改め、旧漢字でJISにない漢字は当用漢字に改めている。また、原文は総ルビであるが、ルビは省略した。ただし、難読の文字の一部については〔 〕内に読みを入れている。
なお、O.F.T は高野房太郎が在米中に使用したOsen Fusataro Takano のイニシャルである。



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Written and Edited by NIMURA, Kazuo @『二村一夫著作集』(http://nimura-laborhistory.jp)
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