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高野房太郎


米国桑港通信 第5回

米国桑港通信 第五回(九月十九日報)

O. F. T. 生

新支那人拒絶條令案(Chinese Exclusion Bill) 今を距ること三十年以前、当カリフホルニア州の鉱夫が一度び支那人放逐論を口にするや、甲唱へ乙伝へ忽ち〔たちまち〕にして太平洋沿岸諸州の労役者の輿論〔よろん〕となり、更に進んで此等諸州一般人民の賛成する所となり、カリフホルニア一州の南端よりヲレゴン、ネバタの両州を通じ遠くワシントン・テリトリー〔注〕の北端に達するの間、至る所"Chinese must go"の声を聞かざる所なし。而して此等諸州に於ける米国政党の勝敗は、亦一に此問題の上に懸るの有様なりければ、此等諸州より撰出せらるゝ所の代議士は、其政党々派の如何に関らず、常に一致して此問題に対する議案を国会に呈出せんこと蓋し〔けだし〕少なからざりしと雖も、如何せん東部諸州に於ける支那人が米人に与ふるの損害は、未だ太平洋沿岸諸州に於けるが如く其激烈を極めざりしを以て、常に東部代議士の為めに妨げられ、其呈出したる所の議案の多くは、或は否決せられ、或は修正せられたり。而して其修正せられたる所の議案は、皆原案精神の一部分を採りたる者にして、未だ甞て原案全体の精神をして上下両院の採用する所とならしめたることあらざりし。然るが故に、政府が清国と其條約を改正すること数回の多きに及びたりと雖も、常に此等沿岸諸州の人民をして満足を表せしむること能はずして、三十年以前より此等諸州の問題たりし支那人放逐論は、更に其気焔を減ずることなく、日々益々其勢力を増し、此等諸州の人民が放逐の実行を切望するの念は益々其熱を加へ、遂に「已むを得ずんば合衆国が清国との貿易より得る所の利益の全体を犠牲に供し、断然清国との国際交通を断ち、以て太平州沿岸諸州の利益を保全すべし」と主張する者あるに至れり。顧みて之に対する支那人の有様を見れば、彼の放逐論の発したりし当時(千八百五十二年)カルフホルニア州に於ける支那人は二万五千の総数なりしが、其後四年を経千八百五十六年に至ッては三万人となり、爾后〔じご〕今日に至る迄更に其数を減ずることなく、遂に二十万の多きを以て数ふるに至れり。此の間太平洋沿岸諸州の受けたる損害は実に斗る〔はかる〕べからざるものあり。彼の労役者等が此等支那人の競争の為めに受けたるの損害、彼幾多の少壮なる男女が彼の阿片の害毒より其生命を失ふに至りたるの損害、此等支那人が住居する地方一般人民の衛生上に於けるの損害、許多〔きょた=多数〕の支那人が米国の法律を犯して其地方の安寧を妨ぐるの損害等、蓋し枚挙に遑あらざるべし。嗚呼〔ああ〕、此の如き損害は果して太平洋沿岸諸州の人民の耐へ得る処なるや否や。宜〔むべ〕なり、此等人員が支那人を虐待し、支那人を獣類視し、異口仝音放逐の実行を望むや。(未完)
『読売新聞』明治21年10月12日付



米国桑港通信第五回(昨日の続き)

太平洋沿岸諸州の人民が支那人の放逐を望むこと彼が如く夫れ熱心に、支那人が此等諸州の人民に与ふるの損害彼が如く夫れ大に、而して合衆国政府が清国と條約を改正すること彼が如く夫れ数回の多きに及びたるにも関らず、未だ以て此等人民の望を満足せしめ、此等の損害を除去するの実効を奏せざる所以〔ゆえん〕の者は、其の帰する所唯一に合衆国政府が数回の改正條約に於る支那人拒絶の方法其の当を得ざりしにあり。彼〔かの〕千八百八十二年の改正條約、即ち現行條令は、始めて支那労役者の米国に入ることを厳禁したる者なり。然れども、此條約や更に今日に於て何等の効力を現すことを得ざるなり。実に此條約は、一方に於て支那労役者の米国に入ることを厳禁したれども、他方に於て二個の関門を開いて、以て支那労役者の入るを許す者の如し。即ち其第一は、此條約の決定後新たに来る所の労役者は其合衆国に入ることを許さずと雖も、此條約決定以前此国内に居住せし者は再び帰り来ることを得。而して此條約決定後、労役者にして其本国へ帰朝せんとする者は、其発程港の税関に於て証明書を与へ、此証明書を有する者は再び合衆国内に入ることを許したること、是なり。其第二は、労役者にして他国へ行くの目的を以て合衆国内を経過せんとする者に向て、其入ることを許したること是なり。是等の制限は、専ら新来の労役者を拒ぐ〔ふせぐ〕の目的を以て制定したる者なりと雖も、如何せん彼支那人の狡猾なるや、彼証明書は直に他の労役者の代用する処となり、且其証明書を有せざる者は、前居住者にして此條約決定以前に帰朝したりとの口実を以て巧みに法官を欺き、其新来にあらざることを証明せり。或は英領カナダ若くはメキシコ地方へ赴くの目的なりと称し、其経過の許可を得て後巧みに其所在を潜め、遂に合衆国内に居住するのことを果す等、詐術偽謀是れ極め、新来の労役者は続々其踵を接して来り、本年一月より六月に至る僅少六ヶ月の間に於ても殆んど一万の数に達するに至りしかば、爰〔ここ〕に又合衆国政府をして其條約を改正せざるべからざるの必要を感ぜしめ、遂に本年四五月の交に至り、国務卿ベーヤード氏と在留清国公使との間に成る改正條約案を見るに至れり。然れども、此改正案や現行條令に比して尚一層不完全の者にして、到底放逐の実行を奏すべくもあらず。実に改正案に於ては、支那労役者に向ッて五個の関門を開けり。即ち改正案に於ては、左の五個の資格の内何れか其一を有する者は其米国内に入ることを許し、恰〔あたか〕も支那労役者をして自由に米国に入ることを得せしむる者の如し。
第一 清国の官吏、旅行者、学生、商人にして清国在留米領事の証明書を有する者
第二 清国の労役者にして合衆国内に其父母を有する者
第三 清国の労役者にして合衆国内に其妻を有する者
第四 清国の労役者にして合衆国内に其小児を有する者
第五 清国の労役者にして合衆国内に於て一千弗の財産若くは借財ある者
此五個の資格の其一を得れば〔得るは〕彼支那人に於て更に難しとせざる処にして、支那労役者の渡来は此改正案確定後益々其数を増すや明かなり。此改正案は、清国政府の討議中にあるが故に、其確定の條約となるは何れの時にあるやを知らずと雖も、其発布を見るは蓋し遠きにあらざるべし(未完)
『読売新聞』明治21年10月13日付



米国桑港通信第五回(去る十三日の続き)

夫此〔それかく〕の如く合衆国政府と清国との数回の改正條約に於る支那人拒絶の方法常に其当を得ず、太平洋沿岸諸州人民の希望は常に東部諸州人民の妨ぐる所となり、転〔うたた=ますます〕此等人民をして所謂頼む木影に雨漏心地あらしめたりし。然るに本年六月に至り、米国二大政党の大統領候補者撰挙会ありて、彼のハリソン氏がレパブリカン党の大統領候補者と定まるや、氏が甞て上院に於て支那人拒絶の非を鳴らしたるの故を以て、反対党なるデモグラット党は盛んに仝氏の支那人拒絶條令に対する挙動を攻撃し、以て太平洋沿岸諸州の人望を求めんことを図りたり。是に於て乎、レパブリカン党はハリソン氏の為めに弁護し、併せてデモクラツト党の放逐論に対せる挙動の非を挙げ、両党の間互ひに論難攻撃至らざる所なく、大に沿岸諸州の人民をして両党の放逐論にたいする挙動に注意せしむるに至れり。此際桑港にある合衆国政府直轄裁判所に於て、支那人上陸に対する判決其当を得ざりしかば"Chinese must go"の声は太平洋沿岸諸州を通じて益々其音響を高うし、或は書を国会に送りて判官の弾劾を求め、或は大集会を開いて放逐の方法を討議し、至る所Anti-Chinese Mass Meeting(非支那人大集会)を見ざるなきの有様にして、輿論の勃興爰に其極に達したり。輿論の勃興は此の如く、而して他方に於ては此等沿岸諸州に於ける二政党の勝敗は、一に此問題の上に掛る者なりければ、彼東部諸州の人民も爰に大に此等沿岸諸州人民の挙動に着眼し、其間稍昔日の非を暁る者なきにあらず。遂に二三の名士等が支那人放逐論を賛成して、盛に之が放逐の方法を討議するあるに至り、爰に始めて太平洋沿岸諸州人民の希望が東部諸州人民の容るゝ所となるべき気運に向ひ来り、沿岸諸州の人民をして恰も旭光晨〔しん=あかつき〕を破りて東天に輝くを見るの感あらしめたりし。斯くして本月一日に至り、道路忽ち説を伝て曰く、曩に国務卿ベーヤード氏と在留清国公使との間に於て成る改正條約案は清国政府の拒否する処となりたりとの報、英国倫敦に達したりと。其翌二日に至るも合衆国政府へは未だ何等の通報なかりしかば、人民は皆其信偽如何を疑ひ居りたりしが、其翌三日に至り大統領クリブランド氏は国会議員スコット氏を招き、窃〔ひそ〕かに伝ふる所ありしが、氏は帰途直に下院に至り、左の議案を呈出し、直に其討議を求めたり。
支那人移住制限の條令に対する追加案
第一 支那労役者にして甞て米合衆国内の住居者たり、又は今日其住居者たり、若くは今後其住居者たらんとする者及び已に其本国に帰朝せし者、若くは帰朝せんとする者にして、本條令議定の以前に合衆国内に帰り来らざる者は、本條令議定の以后は、凡て合衆国内に帰り来り、若くは留まることを禁ず
第二 現行條令第四及び第五章に於て定められたる証明書の発行は今後之を停止し、且つ本状令議定の以后は、従来発行したる証明書は之を無効とす
第三 現行條令第二第十第十一第十二條に於て定めたる諸罰則は、本條令に於て之を適用す
第四 現行條令の中、本條令と両立し難き者は之れを廃止す
斯かりしかば、人民は皆彼風説を信なりとし、又下院の代議士も之を信じ、遂に一言の此議案に反対する者なく満場の大賛成を以て此議案を通過し、直に上院に廻はし、更に上院の討議する所となりたり。而して、上院は二票に対する三十七票、即ち已往未だ甞て支那人拒絶條令に対して与へたることなき多数を以て、此の議案を通過せしめたり。此際、在留清国米公使より、彼改正條約案は当時清政府の討議中にありて、未だ何等の決議を為さずとの事を報じ来りしかば、上院議員ブレアー氏は直に本案再議の動議を起し、遂に賛成者ありて議題となり、再び本案の討議を開しが、遂に昨十七日に至り上院は廿票に対する廿一票即ち一票の多数を以て此動議を否決し、原案は上院を通過して、大統領の批准を乞ふ事となれり。蓋し此議案や、敢て清国皇帝の批准を要するにあらず。唯米国大統領の批准を得ば、直に米国の新定法律となる者なれば、今や此議案の行否は一に大統領の決する所となれり。大統領クリブランド氏は、果して此の議案をして一個の法律たらしむるや否や。(未完)
『読売新聞』明治21年10月17日付



米国桑港通信第五回(前号の続き)

〔おも〕ふに、此追加案は支那人放逐の目的を達するに於て尤も偉大なる力を有する者にして、甞て施行せられたる條約中、未だ此の如き効力を有する者あらず。若し此追加案にして、米国の法律とならんか、支那労役者の来るや今後其跡を絶たん。太平洋沿岸諸州の人民が多年の希望は、爰に之を達せん。米国政治上及び社会上の一問題たりし処の支那人放逐論は、爰に其局を結ばん。永き月日の間、太平洋沿岸諸州を掩ひし所の密雲は爰に始めて晴れ、洋々たる和気は此等諸州を通じて其天際に漲り、人民皆其富貴を楽まん。斯の如くんば、此追加案の関係する処夫れ大なりと云ふべし。大統領クリブランド氏は果して能く此追加案を批准して、以て此等諸州の人民をして其太平を歌はしむむや否や。
然共〔しかれども〕今や飜ッて大統領クリブランド氏の地位より観察し来れば、此追加案に向ッて其批准を与るは、決して当を得たる者と云ことを得ざるべし。彼改正條約案の大統領の批准を得しは、今より数月以前のことなり。数月以前に於て大統領が正当と認めて其批准を与へし所の改正條約案に対し、其全部の精神を打破るべき所の此追加案に向ひ、而かも彼の改正條約案を打破るべき何等の理由なき今日に於て、其批准を与ふるは果して正当の者なる乎。若し清国政府にして、彼改正條約案を拒否したるの事にして実ならんか、大統領が此追加案に向ッて其批准を与ふるは素より正当の者なりと雖も、其虚妄の事実なりしこと判然たるの今日に於て、又譬へ〔たとえ〕其外面はスコツト氏一個の呈出したる議案なるも、其実際はクリブランド氏が仝氏に命じて呈出せしめたる者なりとの内面の事実の知れ渡り居る今日に於て、大統領は果して如何なる方法を以て此追加案を処分せんとするか。若し大統領にして此追加案を拒否せんか、大統領は自からの考案に成れる議案を、自から拒否せりとの議を受くるのみならず、本年十一月に開かるべき大統領撰挙会に於ける太平洋沿岸諸州の投票は、皆他党の有する所とならん。然らば大統領は、此追加案に向ッて其批准を与ふるか、真正政事家たるの名誉を失ふを如何せん。大統領クリブランド氏の本案に対する処置夫れ難い哉。

レパブリカン党員は、クリブランド氏が彼スコツト氏をして此議案を呈出せしめし理由を説て曰く、彼改正條約案の清国政府の拒否する所となりたるの報倫敦〔ロンドン〕より達するや、クリブランド氏は思へらく、今や太平洋沿岸諸州の人民は大いに二大政党が支那人拒絶條令に対する挙に注目し、且つデモクラツト党の已往の挙動に対し不満の念あるを以て、此報を得たるを機とし、レパブリカン党に先んじて一つの拒絶條令を呈出せば、大に彼等人民をして吾党を信ずるの念を起さしめ、以て本年撰挙会にて多数の投票を得ることを得ん。下院に置いては我党其多数を占むるが故に、此議案を通過せしむるは甚だ容易なり。独り上院はレパブリカン党其多数を占むるが故に、必ずや容易に其可否を決せざるべし。かくして四五日を経る間に彼の清国政治の拒否の実否を明かにすることを得、且清国政府にして事実彼の改正案を拒否せざりしならんか、今日までの経歴に依るも上院は必ず此議案を否決せん。此場合に於ては、彼等沿岸諸州人民の吾党を信ずるの念は益々加はり、レパブリカン党の信用は忽ち地に落ちん。若又清国政府にして、彼の事実改正案を拒否せし場合においては、上院の可否何れに決するやを知るに由なけれども、上院に於て之を可決するとするも我党は先んじて此議案を呈出したるの故を以て、我党の非支那人拒絶党にあらざるを証し、彼諸州の人心を収攬することを得ん。况んや〔いわんや〕上院が是を否決したるの場合に於てをやと、遂にスコツト氏をして彼追加案を出すに至らしめしが、何ぞ図らん、上院に於ては彼の清国政府拒否の事実ならざるにも関らず、彼の追加案を可決したるのみならず、却て上院にあるデモクラツト党員の多くが非常に其議案に反対したりければ、今日に於てはクリブランド氏の失望落胆は実に極りなかるべしと。余は此理由の当れるや否やは知らず。唯刮目して、此追加案の結果を見んと欲するのみ。(完)
『読売新聞』明治21年10月20日付




1) 初出は『読売新聞』明治21(1888)年10月12日、同13日、同17日、同20日付。
2) 〔 〕内は二村による注、あるいは欠字を追加したものである。なお、原文には句読点がほとんど使われていないが、ここでは読みやすさを考慮して句読点を加えた。また、変体仮名は仮名に改め、旧漢字でJISにない漢字は当用漢字に改めている。また、原文は総ルビであるが、ルビは省略した。ただし、難読の文字の一部については〔 〕内に読みを入れている。
3) 文中には、民族差別に関わる不適切な表現があるが、原文の歴史性を考え、そのままとした。
4) O.F.T は高野房太郎が在米中に使用したOsen Fusataro Takano のイニシャルである。
5) 太平洋岸北端のワシントン州が州として認められたのは、この通信が出された翌1889年のことで、この時はまだテリトリー(準州)であった。




別巻2『新資料発掘』目次        

第6巻『高野房太郎とその時代』目次        

米国桑港通信 第1回        

米国桑港通信 第2回        

米国桑港通信 第3回        

米国桑港通信 第4回        




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Written and Edited by NIMURA, Kazuo @『二村一夫著作集』(http://nimura-laborhistory.jp)
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