桑港に於ける支那人の日本商店 は余が第一回の通信に掲げたる如く実に無数の者にして、其商品蒐集の巧みなる、其売価の低廉なる、常に在留日本商人をして捲舌せしむる所なり。試みに支那街を通過せば、其戸数の大半は日本商品を売捌くの家なり。又市中に散在せる支那人の商店の如きも、其家屋の広大なる、其装置の美明なる、日本商店の企及すべからざる者少なからざるなり。米人が支那人を悪むの意志は常に其商業に非常の妨害を与ふるにありと雖も、其売価の低廉なるに至りては、能く米人をして其意志を忘却せしむるに足れり。日本商店に来る客の多くは、常に曰く Your price is too high, I can get much cheaper in Chinatown(支那街に行けば其直よりは余程安く買へます)と、日本の商人は常に此弁解に苦しまざるはなきなり。支那商店の日本商店に与ふる其害や大なり。思ふに、支那人が斯の如く其商品を廉価に売捌くを得るや、其原因多し。今之を略挙せば
第一、日本に於る仕入直段〔ねだん〕の廉き事。横浜にある支那人等が、常に其商品を仕入るゝに当りて施す所の手段は、実に驚くべき者あり。其仕入直段を廉ならしめんが為め、売込商人の手より買ふことを為さずして、直に製造人よりし、或は巧みに製造人の歓心を買ひ、其窮するに際しては金円を貸与し、或は商館の注文品を抜かしめ、或は売込商人が或る商館より注文を受け、其物品を納むるに当り其注文に相違する処ある為め其売込をなすを得ず。更に他の商館に至り之れが売捌を試むるも、其事を果さず非常に其困難を感ずるの際、支那人は早くも之を洞察し、安価にて其物品を買落すが如き、諸ろ此の如き事実は横浜商人が常に実験〔実見〕する処なり。此等の事たるは決して支那人を責〔む〕べきにあらず。否其商業に敏なるを賞すべきなり。而して、是れ其商品売価の廉を致す一原因とせざるべからず。
第二 其商品には粗造なる者多し。 若しも商品が商館(欧米人の)にてペケにされしならば、支那商人の処へ持行くべしとは、横浜商人が常に口にする所にして、余が仝港にありて屡々〔しばしば〕耳にせし所の事実なり。実に横浜に於ける支那商人は、商館(欧米人の)ペケ物の買入問屋とも云ふべき者なり。欧米人の商店の厳正なる、彼陶器の焼き方の粗なる、或は彼山傷〔やまきず=陶磁器を窯から取り出した時にすでについている傷〕の如き、或はカヒー皿の平面ならざる品の如きは、凡て此を除きて買入をなさずと雖も、支那人は常に此等の品を買求め、其仕入直段の廉なるを勉むるが如し。其他体裁の仝一にして其性質の下等なる者の如きも、常に支那人の好んで求めんとする処の者なり。此事たる、其商品全体を云ふにあらざるも、蓋し又見て以て其商品売価の廉となす一原因とするを得べし。
以上二件は、以て支那商店の商品の廉なる原因となすを得べきも、未だ以て米人をして満足ならしむる能はざるべし。其第一の如きは、支那人が其商業上の機敏より来たしたる者なり。其第二の如きも一般に通論するを得ざるのみならず、米人に於ては之を判別するに非常に困難なり。唯此間にありて、稍米人の首を傾けしむる者は、彼支那人の生活費の廉なる、此商品売価の低廉を致す一大原因とするにあり。身は米国の法律に支配せられ、居は米国の内に占め、米国の空気を吸ひ、米国の文明を目撃するも、尚確乎としに此風俗に習はず、支那の料理を口にし、支那の衣服を肌にす。彼米人が慎みて其業を休む日曜日の如きも、若しくは米国独立の当日として米人が其祝意を表して其業を休む七月四日の如きも、支那人には何等の影響を与へざるなり。彼等が休業する日は、太陰暦の正月元旦なり、清国皇帝の誕生日なり。其費やす所の生活費は、米人の生活に比し、又在留日本人が費やす所の生活費に比し、幾層の下にあるや知るべきなり。此事や、実に支那商人が其商品を低廉になすを得るの一大原因と云ふべき者にして、米人も又此点に就ては吾々日本商人の所説に服する者の如し。惟ふに、彼支那人放逐論が米国に於て其気焔を盛にせしも、蓋し此一点より成りたる者と云ふべし。然れども、人誰れか其品物の精にして、其代価の廉なるを望まざる者あらん。况んや、米国の如き金銭の勢力の偉大なる処に於てをや。米人が常に支那商店の代価の廉なる為め、其支那人を悪むの意志を忘却して、其供給を支那人に仰ぐ、亦宜ならずや。此間に際し、日本商人たる者は如何に之に処すべきか。思ふに、此方策に就ては、在留日本商人が常に其の脳漿を苦しむる処の者なるべし。将来来ッて業を此地に起さんとする者、又此競争者に逢遇するの覚悟なからざるべからざるなり。
夫れ競争の、事物進歩の原始にして、其商業社会に於ける効果も実に顕著なる者なりと雖も、然ども其競争の行はるゝや、両者共に正当の地位にあらざるべからず。余は、日本の商店の続々此地に開かるゝを厭ふ者にあらず。否、好んで此等の商人とゝもに競争場裏に立たんことを望む者なり。素より一つの競争者なく、利益の己の其専有に帰するが如きは、誰人と雖も欲せざるにはあらざれども、今日の社会にありて、決して此の如きことは望むべくもあらず。寧ろ相共に競争場裏に立ちて、以て其間に利益を博するに如かざるなり。我々日本商人として、日本商人の競争者を恐れざるや斯の如しと雖も、独り支那商人に至ては、吾人は落膽逡巡せざるを得ず。蓋し、吾人が日本商人と共に競争場裏に立ちて、其間に利益を博するを得る所以の者は、両者の地位の均しければなり。費さす処の生活費の仝一なればなり。故に、此間にありて利を獲せんとするや、専ら其の商業上の機敏に依らざるべからず。此の如くにして、果して競争の真面目とも云を得べけれども、彼の支那人に至ては、余は其両者の地位の均しきを得ざるを知る。其費す所の生活費の仝一を得ざるを知る。吾人が如何に節約の法を採るも、如何に機敏を巡らすも、支那人との競争に於て勝算あるを見ざるなり。若し夫れ吾人にして、支那人の生活を為し、又為すことを得るとせば、此競争や行はれざるにあらず。此競争や勝算なきにあらずと雖も、吾人にして彼の支那人放逐論の気焔を盛ならしめし原因を考究せば、吾人は決して此事を為し能はざるなり。嗚呼〔ああ〕夫れ吾人の如何なる方法に依りて以て其商業の盛栄を計らんか、在留日本の商人若くは日本の海外貿易者は、宜しく大明策を案出せざるべからず(未完)
『読売新聞』 明治21年5月22日付
或在留日本の商人は曰く、今日桑港に於て日本商店、支那商店に競争するを得ざるや其理多しと雖も、要するに日本商人の結合力の乏しきに依らずんばあらず。見よ、桑港中にある日本の商店を集めて、之を一支那商店の大なる者に比するも、尚其劣るあるを見るならずや。然るも、日本の商人は共に合同合併して其事業を為さず。孤々分立、以て其利を得んとするにあらずや。如何ぞ、彼商業上恐るべき機敏を有し、驚くべき資本を有し、而かも結合力の強き、支那人と競争することを得んや。余は(或る日本商人)信ず、今桑港にある日本商店は皆其資本を集め、尚足らざるは之を本国の資本家に募り、一大会社を起し、其基礎を堅固にし、其資本を大にし、盛んに機智を運らさば、安んぞ〔いずくんぞ〕彼の支那人に競争し能はざる事あらんや。たとへ目前の利は之を捨つるも、将来支那人を圧倒し盡したる時の利益は、以て此会社の盛栄を致すに足るべきなりと。
論者が日本商人の結合せざるを責むるは、敢て理なきにあらずと雖も、その支那商人と競争せんとして立てたる方策は、所謂云ふべくして行ふべからざるものなり。必勝の算あるが如くにして、其必勝を見ざる前に、余は此の会社の倒産するに至る可きを掛念するものなり。論者は、此の如き目的を以て、今日桑港にある日本商人を合同せしむるを得るとするか。日本の資本家を募るを得るとするか。恐らくは其方策は画餅に帰せん。蓋し、論者は此会社が其競争者たるの支那人を圧倒し盡す迄は、其利益を収むるを得ざるを認めたり。即ち支那人の競争ある間は、此会社は其利益を得ることを得ざるを知れり。然らば此会社にして、到底支那人を圧倒することを得ずとせば、此会社の成立することを得ざるなり。持続することを得ざるなり。余は信ず。日本商人若くは一大会社にして、支那人と競争して其勝を制せんとせば、先づ其地位を均しうせざるべからず。地位を均うせんとせば、其生活をして支那人と仝等ならしめざるべからず。之を均しうせざる間は、論者の所謂目前の利益を捨つるのみならず、永遠の利益も之を取ることを得ざるべしと信ず。彼の支那人に習ひ、米国の生活を捨て、支那人のなすが如き劣等の生活を為すが如きは、策の尤も愚なる者にして、其弊害の及ぶ所、大は我帝国の体面を汚し、小は一身の利益を放擲せざるべからざるに至る。誰か此の如き拙策を行はんや。夫れ此の如し。然らば如何ぞ、此会社の創立を見ることを得んや。如何ぞ此会社の永続を見ることを得んや。論者の方策の無効なる知るべきなり。
然らば吾人は如何にして此競争者を圧倒し、其商業の盛栄を求むべきか。余は千思万考するも之を圧倒するの方策なきに苦しむなり。余は断念せり。支那商人を圧倒するは、到底我々の為し能はざる所なりと断念せり。此無益なる競争の外に立ち、以て其商業の盛栄を図るの優れることを考定せり。思ふに、現今在留の日本商人、若くは将来来りて業を起さんとするの人が採るべき方策は、唯此無益なる競争を試むることを為さずして、其利益の許るす限り其値を廉にし、内には其基礎を堅固にし、永遠持続の方を計り、外には専ら顧客の信用を収攬し、以て其商業の盛栄を求るより外あらざる也。
当港マーケット街にジョージ、マーシと云へる一洋人あり。数年来日本の商品を売買し来りしが、其設立の当初は種々の妨害に遇ひ、其困難少なからざりしが、遂に之を持続して、今日に至りては其顧客の信用は非常に厚く、其日々の売上高の如きは実に偉大の者にして、日本商人の常に羨望する所の者なり。而して、其売価を問へば、多くは吾々が売捌くよりも二三倍の高きを為せり。然るも、尚此の如く繁栄を為すは、唯一に彼信用なる者が其働きを為すに過ぎざるなり。今や支那人放逐論の気焔は日に益々盛にして、米人中支那人を悪まざる者なき有様なれば、此際日本商人にして巧に其信用を収攬するを得ば、此信用は意外の点に迄其働きを顕し、以て其商業をして盛栄ならしむべきなり。商業家諸君以て如何となす。(未完)
『読売新聞』明治21年5月24日付
日米間製茶貿易 日本の貿易中、現在若くは未来に於て、尤も〔もっとも〕多望の物品は、茶と生糸の二者なり。日米間の貿易に於て、尤も多額を占むる者又此二者なるべし。惟ふに此二者の米国に於ける需要は、他に障害の生出せざる以上は、年々其額を増加するや疑ふべくもあらず。蓋し六七年以前迄は、我生糸の米国に於て需用せられたる区域は単に上等社会に止りしも、今や中等社会及び下等社会の或部分の需要する所となりたり。茶の如きも又然り。近来に至りては、其需要の区域益々広まり来れり。一日三回の食事、珈琲の卓上にあるを見たりしも、今や朝餐のみ之を用ひ、他の二回は凡て茶を用ふるの家十の八九を占む。且つや今日迄米人の用ひ来りたる者は、凡て再製の品なりしも、今や再製ならざる品も稍米人の好む所となり来れり。夫れ此の如し。日米間の貿易に於て、茶と生糸の有様は、豈多望の者ならずや。今左に本年三月中海外各国より桑港に輸入せる製茶の額を挙げん。
千八百八十八年三月中輸入製茶斤数及価格表
桑港 税関調査
輸入地 斤数(米量) 価格(米金)
日本 一八九、三二二斤 二二、五六三弗
支那 一〇一、〇九九斤 一六、二九七弗
英領東印度 一、三一〇斤 三二九弗
合計 二九一、七三一斤 三九、一八九弗
本年二月中輸入 四八一、〇六〇斤 六二、八四七弗
仝一月中輸入 四九二、六九六斤 六四、四三四弗
三ヶ月間総計一、二六五、四八七斤 一六六、四五〇弗
昨年一、二、三月三
ヶ月間輸入総計 八一二、〇二九斤 一二三、三九六弗
本年増 四五三、四五八斤 本年増 四三、〇五四弗
昨年一月より三月に至る三ヶ月間と本年一月より三月に至る三ヶ月間との比較に於て本年の輸入高昨年に増加すること其斤数に於て四十五万三千四百五十八斤其価格に於て四万三千〇五十四弗なり。豈驚くべき増加にあらずや。日本の茶業家諸君は宜しく此増加の点に於て着目すべし。况んや今日まで輸入し来りたる処の者は多くは日本在留外人の再製せし所の者なりしも今や日本茶業家が手にする所の者は直に之を輸入することを得るに於てをや。
桑港の繁栄 西太平洋に面して東洋諸州傍系の市場となり気候の中和なる地味の豊饒なる皆其土地の繁栄の基をなし東方諸州へは汽車の連接するありて運輸の便益其繁栄を助け加ふるに近傍鉱山の開堀直接若くは間接に其繁栄を幇助し遠くは欧州大陸より英領加奈陀より近くは隣邦諸州より此地に移住し来る者其数夥し。今左に本年三月中海外諸国より桑港へ輸入せる物品価格を挙げ以て其繁栄の一般を示さん。
三月中輸入品価格表 | 桑港税関調査 | ||
---|---|---|---|
布哇 | 一、二四一、七五一弗 | 日本 | 一、〇一九、七九五弗 |
英国 | 五〇六、五九〇弗 | 支那 | 四六三、九一七弗 |
サン、サルバター | 三八三、四一七弗 | 仏国 | 二〇〇、三七五弗 |
ガテマラ | 一八九、四一六弗 | 豪州 | 一三二、三六一弗 |
英領コロンビア | 九三、七一七弗 | ベルヂユム | 八六、九六八弗 |
智利 | 八三、二六八弗 | 日耳曼 | 六三、一三七弗 |
フィリッピン島 | 六二、二五〇弗 | キューバ | 三八、六二八弗 |
蘇蘭 | 二二、三〇九弗 | 曼領東印度 | 一二、九四二弗 |
仏国領地 | 五、九九四弗 | 愛蘭 | 二、三九九弗 |
ブラジル | 一、四三六弗 | 他諸方 | 四、六一五弗 |
合計 四、八二二、八三一弗
本年二月中輸入合計 四、七一〇、八三八弗
仝 一月中 仝上 三、五七一、七六一弗
総計 一三、一〇四、九三〇弗
本年一、二、三月三ヶ月間総計 一〇、七七二、七八七弗
本年増加 二、三三二、一四三弗
単に海外貿易の輸入品に於てのみにても、本年輸入額の昨年に増加すること右の如し。桑港が年々偉大の勢ひを以て其繁栄を増加し来ることは、尤も明かなる事実なり。今若し右の輸入額に加ふるに、合衆国内の諸邦の輸入額を以てせば、此増加は果して幾倍の増加をなすやも知るべからず。嗚呼亦盛んなりと云ふべし。幸ひなる哉、我国は一葦海水を隔て、僅少二旬の日子を費し、然かも其航海は非常に安全に、此好市場に達することを得るなれば、右に掲げたる表に於ても、第二の多額に位せり。我日本の商業家は益々注意して、此好市場の愛顧を空うせず、益々其輸入を増加せしめんことを勉めざるべからざるなり。(完)
『読売新聞』明治21年5月26日付
1) 初出は『読売新聞』明治21(1888)年5月22日、同24日、同26日。
2) 〔 〕内は二村による注、あるいは欠字を追加したものである。なお、原文には句読点がほとんど使われていないが、ここでは読みやすさを考慮して句読点を加えた。また、変体仮名は仮名に改め、旧漢字でJISにない漢字は当用漢字に改めている。また、原文は総ルビであるが、ルビは省略した。ただし、難読の文字の一部については〔 〕内に読みを入れている。
3) 文中には、民族差別に関わる不適切な表現があるが、原文の歴史性を考え、そのままとした。
4) O.F.T は高野房太郎が在米中に使用したOsen Fusataro Takano のイニシャルである。