高野房太郎フォト・アルバム──写真による登場人物紹介(1)

               

 高野房太郎には、12葉の写真が残っています。早くから転々流浪の生活をおくり、若くして世を去ったことを考えれば、よく残ったものです。おそらく、それだけ岩三郎が兄のことを思い、大事に保存したからでしょう。
 どの写真も、なかなかにハンサムです。それに、北京を去るときと青島で家族と再会した際の写真をのぞき、どれひとつ同じ服を着ていません。小学生時代から当時の子どもには稀な洋服姿で、どの写真を見ても、房太郎がなかなかお洒落だったことがうかがえます。なにしろ、日本雑貨店を開店したときには、借金をしてまで、40ドルもする服を仕立てているのです。
 画像をクリックすれば、大きい写真が別窓で出ます。順序は、左から右へ、上から下へと撮影時期に応じて並べました。ただし、月日まで明記されているもの以外、撮影時期などは推定によります。


高等小学卒業記念
     房太郎12歳
日本雑貨店
    開店記念
   1888年5月13日
職工義友会
 創立記念写真(部分)
    1891年7月
帰国記念?
  1896年
AFL機関誌の
   求めに応じて
  本郷・中黒実撮影
神戸にて
 職工義友会の旧友
 との再会記念(部分)
  1899年7月末
鉄工組合
創立委員の一員として
『日本の労働運動』
   口絵写真
北京へ赴く
  前に長崎で撮影
   1901年1月
1901年6月27日
   北京退去4日前
    に撮影
妻キク、長女美代
    と青島で撮影
     1901年夏?
次女フミの誕生直後、
    母の帰国を前に
     青島で撮影。
    1903年2月25日