天涯茫々生(横山源之助)「高野房太郎君を憶ふおもう


                天涯茫々生(横山源之助)「高野房太郎君を憶ふ」『東洋銅鉄雑誌』  

 労働運動の卒先者にして、兼て鉄工組合を創立し、消費組合を創設したる労働社会の明星、高野房太郎君が、清国しんこく山東省に逝けるは、既に三ヶ月の前に経過す。数日前、遺骨東京に到着し、明二十六日午前九時を以て、駒込吉祥寺に其埋骨式行はると聞き、感慨の湧起するを禁ずる能はず。
 余江湖こうこに放浪することここに十幾年、一枝いっしの筆に依りて、僅に陋巷ろうこうに生を送る。然かも時に平らかならざる者あり。地方に出で、山間に隠るゝこと今に数回。想起す、今より六年前、余、毎日新聞社に在り、『日本の下層社会』を編し了りて、健康意の如くならず、避暑を名として、突然東京を出で、加州金沢を経て、郷里小戸おとの浦辺に還る。而して遂に新聞記者を廃して、農に帰らんと決せるなり。当時最も其の不可を称ひたるは君にして、翌年君の日本を去る急忙の際に於ても、尚且なおかつ余を忘れず、桑田〔熊蔵〕博士と相謀りて、農商務省の工場調査に関係せしめたり。今日余が東京に帰りて、労働者の研究に従事するもの、先輩には佐久間貞一島田三郎二氏の援助ありしといえども、亦君が常に余を慫慂しょうようし、激励したるものあずかりて力多きを認めずんばあらず。嗚呼ああ余は君を忘るゝこと能はざるなり。
  あにただに私情に於て君が死を惜しむのみならんや。近時、社会問題を論ずる者多く、ついに資本を公有にすべしと称するカールマークスの学派を汲める社会主義の徒を出だすに至れり。社会主義者の出づるも可也、其の諸説、如何に激烈なりと言ふも、亦一種の学説たるべし。故に余は学説としては、社会主義にくみせずといえどもあえて之を排斥するの狭量ならざらんことを欲す。然かも其の唱へる者の行動如何と見れば、徒に其の説を奇激にして労働者を思ふの親切少きは、余輩のはなはみせざる所なり。
  今や年一年、社会主義を喜ぶ者増加す。此時に於て、社会主義の学説と其の運動方法を厭へる君の如き士の逝けるは、実に労働者の不幸にして、亦日本国の不幸なりと謂ふいうべし。


 ここでは原文通りに翻字した。ただし、適宜ルビを加え、読点を句点に改めている。





Written and Edited by NIMURA, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
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