このような大河内氏の解答がいずれも問題の一面を捉えていることは確かである。まず(1)の点について,当時の鉱山労働者が主として農村から調達されたことは,幾多の事実がこれを示している。足尾銅山の場合も例外ではなく,富山県をはじめ新潟,石川,富山の北陸4県が足尾労働者の主たる供給源であった(30)。これが鉱山労働者の性格を,飯場頭による前近代的な支配に容易に服従するものとした一因であったであろう。また,(2)の地縁,血縁を通じての労働者の募集は,公開の労働市場における募集に比べて,労働条件を低め,また人的なつながりによる支配をもたらしたであろう(31)。
しかしながら,以上の説明だけで,飯場制度形成の根拠が十分に解明されたとはいえない。というのは,すでに見たとおり,飯場制度はただ単に労働者の募集,確保を目的としただけでなく,作業請負制として生産過程の内部に組み込まれていたのである。この事実は大河内氏の理論では理解し得ない。労働力の労働市場における性格は,飯場制度の成立を可能にした,あるいは容易にした一つの条件ではあるが,その成立を必然たらしめるものではない。労働力の前近代的性格は資本制経営の中にあっては,資本の搾取を強化するために役立ち,それと矛盾しない限りにおいて利用されるものである。また,一般的には,労働市場において如何に前近代的な性格をもった労働力であっても,近代的産業の機械体系はその生産過程に必要な技術的,社会的訓練をほどこし,これを近代的労働者に鍛え上げていくものなのである。従って,作業請負をともなう飯場制度成立の根拠は,単に労働市場の性格,あるいはそこにおける労働力の特質のみでなく,同時に,この時期における鉱山業の生産過程の特質に求められるべきであろう。
では,生産過程のいかなる性格が飯場制度の作業請負をもたらしたのか? この点を,足尾銅山における〈当時他に類を見ないほどの近代技術の採用〉の具体的内容を検討することで明らかにしてみたい。
まず,次の一覧表によって,足尾銅山の技術近代化の特徴を概観しておこう。
(1)何より注目されるのは,選鉱・製煉部門のめざましい機械化,近代化である。蒸気機関などの動力機はクラッシャー,ジガー等のための原動機として選鉱部門にいちはやく導入された。また,水套式溶鉱炉による製煉,ベセマ転炉による煉銅,電気精銅による精銅の体系は当時では国際的にも最も優れた製銅方式であった(32)。
(2)水力発電所の設置。1890年には日本最初の水力発電所が足尾に建設された。これによって排水,坑内運搬,坑外運搬等の動力の確保が容易になった。この足尾発電所の建設は,世界最初の営業用水力発電所であるアメリカ・ウイスコンシン州アップルトン発電所の創設からわずかに8年後れただけである。
(3)1885年に始まり1896年に完成した大通洞は延長3000メ−トルをこえ,これによって,それ以前の分散し,ばらばらな坑口をもつ坑道が内部で連絡し,通気,排水が容易になっただけでなく,運搬の機械化の基礎ができた。
このように足尾銅山では,早くも19世紀のうちには,日本の鉱山業の先頭を切って当時の先端技術を導入し,国際的に見ても高い水準に達していた。しかし,鉱山業の基本工程である採鉱部門では,技術的な問題もあって,機械化は立ち遅れた。
ただし,立ち遅れといっても採鉱部門で全く進歩がなかったわけではない。むしろ,19世紀後半における日本の鉱業技術の進歩の中で特筆すべきものの1つは黒色火薬およびダイナマイトの開坑・採鉱作業への導入であった。この火薬使用によって,坑道を短期間でより深部へ延長することが可能になり,長い間の難問であった排水・通風問題がひとまず解決した。また火薬使用によって採鉱量も急増したのである。16,17世紀に世界的に注目される発展を見せながら,幕末には衰退しきっていた日本の鉱山業が再生し得たのは,正にこれによるものであった。しかし,この火薬使用そのものは採鉱作業の手工的性格を変えるものではなかった。火薬装入のための鑿孔は依然として鎚と鏨を用いていたのである。もっとも,足尾銅山では,1885(明治18)年には,払い下げを受けたばかりの阿仁銅山から運んだ鑿岩機が使用されている。しかし,当時の鑿岩機は高価である上に,切羽で使うには大きすぎ,採鉱にはほとんど用いられなかった。鑿岩機の使用は,もっぱら通洞,竪坑など主要坑道の開鑿に限られたのである(33)。
では,こうした採鉱技術に対応して採鉱法はどのような状態にあったであろうか? 『日本鉱業会誌』(1887年3月発行)所収の「足尾銅山記事」は,1885(明治18)年8月現在の状況を次のように報じている。
「鉱脈開営法ハ稍々欧式ニ倣ヒ先ツ下盤ヲ掘鑿シ便宜ノ所ニ於テ支道ヲ上盤ニ通シ鉱脈ニ会シテ左右ニ進ミ其法恰モ掘上ニ類セリ。鉱脈ハ堅硬ナラサルヲ以テ単ニ尖鑚ト手鎚ヲ以テ採獲スルモ岩石ハ弾薬ヲ以テ之ヲ破砕ス。又非常ニ堅実ナルカ或ハ湧水ノ為メ火薬ヲ使用スルコト能ハサルトキハ〈ダイナマイト〉ヲ以テス」。
これによれば,すでに1885年には当時としては最も進んだ採鉱法である〈上向階段法〉が採用されているようにみえる。しかし,これが〈上向階段法〉に類似していたのは,ただ採鉱準備の開坑までに過ぎず,ひとたび採鉱となると旧態依然たる〈抜き掘法〉であった。このことは1897(明治30)年の『足尾銅山景況一班』に、「採掘ノ方法ハ目下階段掘ヲ実施スル場所僅カニ数ヶ所ニ止マリ重ニ所謂抜キ掘法ト称シ鉱脈中ノ鉱幅而巳ヲ採掘スルニアリ」と明瞭に述べられている。
〈抜き掘法〉は鉱脈中の富鉱部,しかも採掘しやすい部分のみを採取しながら掘進するものである。当然その掘り跡は不規則となっただけでなく,坑道は全体的に狭隘であった。このため採鉱作業や,切羽から主要坑道への運搬の機械化は著しく困難となった。主要坑道では電車やリフトが動き,排水には強力な動力ポンプが用いられているのに,切羽では依然として鎚と鏨によって作業が行なわれ,採取された鉱石はその場で選別され,叺に入れられ手子の背で運搬坑道まで運ばれ,そこからは人力による鉱車で主要坑道まで運搬されたのである。このような跛行的な技術の近代化は当時の日本鉱業全体に通ずる特質であったが,ここにこそ飯場制度のような前近代的な労働組織が近代的資本制産業の内部に包摂され,存続した1つの根拠がある。
一般に採鉱作業においては,作業能率は労働者自身の作業意欲に依存するところが大きい。それは単に作業が手作業によるというだけではない。仮に鑿岩機が導入されてもこの点は変わらない。切羽運搬の機械化によって,はじめて機械の運転速度が労働者を拘束する。こうした状況で能率の向上をはかるには,1)「労働の質および強度が労賃そのものの形態によって統制される」(34)ところの出来高払賃金を採用すること,2)作業現場での監督の強化,この2つの方法しかない。
第1の出来高払賃金は「階層的に編成された搾取および抑圧の制度の基礎をなす」(35)ものである。すなわち「個数賃金は一方では,資本家と賃労働者との間への寄生者の介入を,下請作業を容易にする。介在者の利得はもっぱら,資本家が支払う労働価格と,この価格のうち介在者が労働者の手に現実に渡す部分との,差額から生ずる。………他方では個数賃金は資本家をして,首脳労働者と………一個につき幾らという価格で契約を結ぶことを得せしめるのであって,この首脳労働者自身がその価格で自分の補助労働者を募集し支払うことを引受けるのである。資本による労働者の搾取がこの場合には,労働者による労働者の搾取を媒介として実現される」(36)。しかも採鉱作業の場合は,一般の個数賃金と違って「鉑幅ノ広狭ト石質の硬軟トニ依リ」「箇所毎ニ定目ヲ定メ」るものであることは,請負を個人を単位としてでなく,1切羽を単位とする集団的なものとする。
もっとも,出来高賃金は,それだけで飯場頭による作業請負を必然的たらしめるものではない。この賃金形態そのものは作業請負を容易にする1つの条件であるに過ぎない。しかし開坑・採鉱作業の場合は,もう1つの能率増進方法である作業現場での監督強化が著しく困難であるため,飯場頭による作業請負はほとんど必然的となる。
周知のように,採鉱現場=切羽は,鉱体の賦存状況に応じて,広大な地域の各所に,しかも立体的に散在する。坑内は水平坑道や竪坑によって結ばれているとはいえ,各作業場の独立性,分散性は一般の工場とは比較にならないほど強い。切羽を見回るにも,人一人通るのがやっとという狭い坑道をくぐり,水で滑る梯子をつたい,丸太に段を切り込んだだけの雁木を踏みしめて登らねばならない。しかも,当然のことながら坑内には外光がまったく射込まず,切羽ではカンテラの微かな明りだけが頼りである。こうした条件のところで,かりに,鉱業主が開坑・採鉱作業を直接に指揮・監督しようとすれば,労働者の数ほどの監督者が必要となるであろう。そこで「資本による労働者の搾取が,労働者による労働者の搾取を媒介として実現される」ところの,飯場頭による作業請負が必然化する。『鉱夫待遇事例』が明示するように,「飯場制度ニ於テ普通利益ナリトスル主要ノ事項」の1つは「鉱夫ノ勤惰ヲ監督シ,鉱夫ノ繰込及事務ノ配当等利便ニシテ鉱山ノ手数ヲ省キ役員ノ数ヲ減シ得ルコト」なのである。
要するに,飯場制度は日本の労働市場の特質,或はそこに於ける労働力の特質によって規定されたものというより,むしろこの段階での日本の鉱業技術の跛行的な発展に基づくものであった。こうした視点にたって,はじめて飯場制度の総体的かつ歴史的な把握が可能となる。
【注】
(28)大河内一男「賃労働における封建的なもの」(『社会政策の経済理論』所収)212,218ペ―ジ。
(29)大河内一男『黎明期の日本労働運動』12ペ―ジ。
(30)この点については本章の補論を参照願いたい。
(31)大河内氏は〈統一的労働市場の欠如〉を強調されるが,鉱山労働者とくに坑夫の場合は明らかに横断的な労働市場が成立していた。これについては次章で検討を加えている。大河内氏は,労働力の定着性の低さ=流動性をも〈出稼型〉によるものとされているが(『黎明期の日本労働運動』13ペ―ジ)横断的な労働市場とは労働者が流動的で,一企業に定着しないことを意味するのではないか。歴史的事実としても,論理的にも,この大河内氏の主張は疑問である。さらにいえば,鉱山業で飯場制度のような形での労働力調達を必要としたのは,1)他産業にくらべ労働環境がきわめて劣悪かつ危険であること 2)したがって労働力の消耗率が高く,移動も頻繁たらざるをえないこと 3)山間の僻地という立地条件による労働力確保の困難さ 4)産業の急速な拡大に伴う労働力需要の急増,などによるものである。
(32)選鉱,製煉技術の機械化・近代化については第3章で詳しく検討する。
(33)阿仁と足尾において使用された鑿岩機については次章を参照されたい。
(34)K.マルクス『資本論』(長谷部文雄訳,青木書店版)第1巻865ページ。
(35)前掲書 865ページ。
(36)前掲書 865ページ。
[初版は東京大学出版会から1988年5月10日に刊行]
[本著作集掲載 2004年8月31日]
【最終更新: