『足尾暴動の史的分析──鉱山労働者の社会史』
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第3章 足尾銅山における労働条件の史的分析はじめに 労働争議,とりわけ争議原因に関する研究で,労働条件を問題にしないものはない。ただ,これまでの日本労働運動史や日本資本主義発達史では,争議を起こした労働者の賃金の低さを指摘し,彼等がいかに経済的に窮乏していたかを強調するに終わっているものが少なくない。またその低賃金も,日本資本主義の構造から直接説かれることが多い。しかし争議や暴動の実際を調べてみると,構造的な低賃金といった理解では説明し得ない事例が少なからずある。足尾暴動はその一例である。
【備考】 農商務省鉱山局『鉱夫待遇事例』1908年刊による。
支柱夫以下の日給は,いずれも坑夫賃金の60%前後である。1907年の一連の争議の背景には,日露戦後の物価騰貴,とりわけ米,味噌,塩,醤油など生活必需品の価格が高騰したことがあった。ただ,生活必需品を中心とする物価騰貴は,坑夫よりも,雑役夫のような低所得層により強く響いたに違いない。しかし,足尾で賃上げを要求して運動したのは,〈高賃金〉の坑夫であった。これは何故であるか?
【備考】 1) 賃金は農商務省鉱山局『鉱夫待遇事例』復刻版 48〜51ページ。
2) 鉱夫総数は同書 13〜14ページ,採鉱夫数は 1〜4ページ。 第3に,足尾銅山の坑夫賃金は,他の重工業大経営の賃金と比べても,額面では決して低くなかった。第3表は1906年における重工業男子労働者の平均賃金である。道具代などの必要経費が坑夫と工場労働者とでは違うので,実収の差は見かけほど大きくないであろうが,名目賃金だけを比べれば足尾坑夫は軍工廠や造船所の労働者を上まわっていた。
【備考】 兵藤釗『日本における労資関係の展開』 312ページ。
さらに,足尾の坑夫賃金は熟練職種の職人賃金と比べても高水準にあった。第4表は1906年の〈諸傭賃金〉のうち「普通賃金の全国平均」の上位20職種を抜き出したものである。この〈諸傭賃金〉の数字は,壮年労働者だけを対象としたもので,しかも実際の稼得賃金ではない。職人の手間賃の標準を最高,普通,最低の3区分ににつき全国の商業会議所に命じて通報させ,これを単純平均したものであるから,厳密にいえば,この数字を使って足尾坑夫との賃金格差を論ずるのは無理である。しかし,足尾銅山の坑夫が熟練職種の職人にも引けをとらぬ高さであったことを推定するには充分であろう。
【備考】 『日本労働運動史料』第10巻 276〜277ページ。
こうした事実を指摘したからといって,暴動時の足尾坑夫が〈豊かな労働者〉であり,生活に困っていなかったと主張しているのではない。明らかに彼等は〈窮乏〉していた。しかし,その〈窮乏〉〈貧困〉はかつて多くの論者が好んで強調し,いまなお一部にその影響をとどめている〈原生的労働関係〉論(2)における〈窮乏〉とは,質的に異なっていると思われる。その違いは,どこにあるのか。こうした問いに答えるには,足尾銅山における各職種別の賃金水準の変化を歴史的に追究する必要がある。 【注】
[初版は東京大学出版会から1988年5月10日刊行]
【最終更新:
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Edited by Andrew Gordoon, translated by Terry Boardman and A. Gordon The Ashio Riot of 1907:A Social History of Mining in Japan Duke University Press, Dec. 1997 本書 詳細目次 本書 内容紹介 本書 書評 |
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