『足尾暴動の史的分析──鉱山労働者の社会史』
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第3章 足尾銅山における労働条件の史的分析(続き)Ⅴ 製煉夫賃金の低落理由(続き)2)1889年〈鎔鉱夫取扱規則〉吹師等級制争議を機に,古河は吹大工をはじめ製煉部門の労働者への監督・統制の強化をはかった。1899(明治22)年2月,争議から2ヵ月後,吹大工に対しては〈鎔鉱夫取扱規則〉を,焼鉱夫に対しては〈焼鉱炉係心得〉〈焙焼炉定則〉〈賞罰則〉(7)を制定し,いずれも3月から施行したのである。 〈鎔鉱夫取扱規則〉は,本大工をその〈成績〉に応じて1等級から4等級に分けると同時に,その本大工の等級に応じて前大工の等級を4等級から7等級に定めるものであった。つまり1等級の本大工のもとで働く前大工は4等級,4等級の本大工の前大工は7等級と定めたのである。等級は,1ヵ月の熔鉱の平均歩合と,木炭の平均消費量に応じた点数によって決められた。つぎが,その点数を決める〈吹師等級点数表〉である。
【備考】
但し「当分の内」,歩合1割5分2厘以上は( )内の点数による。また,等級も,1等50〜55点,2等40〜45点,3等30〜35点,4等25点以下。優等賞は56〜60点1円,65〜69点2円,70点以上3円。 等級制そのものは,すでに争議前から存在した(8)。しかし,これが適用されたのは洋式熔鉱炉の製煉夫や吹床の手伝夫等だけで,吹大工の賃金は,本大工は一律50銭,前大工は30銭と25銭であった(9)。こうした単純な賃率であったからこそ,吹大工の能率を刺激するには〈酒二升,鯡一把〉といった賞与を目の前にちらつかせる必要があり,燃料の節約をはかるためには〈残炭買上げ制〉などが採用されたのである。〈吹師等級点数制〉はこうした高価な刺激策を不要にした。なぜなら,この等級制は固定したものでなく,吹大工は毎月その成績を点数によって明示され,その度に等級は変動したからである。等級は賃金とリンクし,高い得点を得たものには賞与が与えられた。これによって吹大工が物的な刺激を与えられたことはもちろんである。しかしこの制度の,精神的な刺激も,物的刺激に劣らず重要であった。点数制は労働者相互の間で激烈な競争を生み出したに違いない。腕自慢の労働者にとって,他の労働者に点数で負けることは,賃金以上に重要な問題となり得る。もちろん,労働者の中には,この競争に背を向けるものもいたであろう。しかし,こうした〈落ちこぼれ〉に対しても制裁手段が準備されていた。2ヵ月連続して4等級となった本大工には「本番を解き予備鎔鉱夫とする」という降挌措置がとられたのである。 この等級制は,ストライキの原因となった道具代の減額,木炭消費が一定量を越えたときの罰金制の導入よりも,吹大工の労働条件低下をもたらした。なぜなら,等級制の導入前は,本大工であれば誰でも日給50銭であった。ところが,この等級制のもとでは最高の1等級で50銭,2等級45銭,3等級40銭,4等級38銭と定められたからである。第26表は,等級制を採用する直前の1888年7月から89年1月までの7ヵ月間の熔鉱実績である。この結果をさきの点数表にあてはめてみると,吹大工の大部分は3等級に位置づけられる。89年1月のように最高の歩合が1割3分6厘では1等級は誰ひとりいなかったことになる。
【備考】
1) 『日本労務管理年誌』第1編(上),237ページによる。 2) 1889年1月における木炭消費量は1吹き当たり249.1貫であった。
【注】
[初版は東京大学出版会から1988年5月10日刊行]
【最終更新:
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Edited by Andrew Gordoon, translated by Terry Boardman and A. Gordon The Ashio Riot of 1907:A Social History of Mining in Japan Duke University Press, Dec. 1997 本書 詳細目次 本書 内容紹介 本書 書評 |
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