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高野房太郎とその時代 (45)




4. アメリカ時代(23)

ニューヨークにて(2)
     ──組合指導者との文通

葉巻工組合W.G.パーキンスからの手紙、1894年5月31日付

 ニューヨークの房太郎は、その自由時間のほとんどを、アメリカ労働組合の組織と運営の実態を知ることに費やしています。日本雑貨店の事業に失敗してからは、自らの前途についてあれこれ思い惑っていた彼でしたが*1、1894年はじめになると「故国に労働組合運動の意義を伝えることこそ自分の使命だ」と考えるにいたったようです。もっとも当時の日本で労働運動の組織者になったからといって生活の見とおしが立つはずもないので、〈職業的活動家〉になることを夢見ていたわけではないでしょう。生活は生活として何らかの手段で別に立て、アメリカでの見聞や体験を生かして労働組合運動の口火をきろう、と考えたに違いありません*2

 いずれにせよ、帰国したら労働組合運動を始めることを真剣に考え、そのために役立つ情報の収集につとめていたのです。主な手段は文通でした。何人もの労働組合指導者に手紙を出して意見を求め、参考資料の送付を依頼しています。その事実は、ニューヨーク滞在中の房太郎宛てに届いた手紙がいくつか残っているので分かります*3。ゴンパーズからの手紙7通をはじめ、労働騎士団のジョン・ヘイズ、機関士組合のエヴェレット、機関車火夫組合のアウグスト、葉巻製造工組合のパーキンス、ニュージャージー州のエセックス郡労働組合評議会のベックメヤー、さらには労働省のライトなどから各1通です。いずれも房太郎への返信ですが、それを見れば、彼の発信内容も、じゅうぶん推測可能です。

労働騎士団書記長、ジョン・ヘイズ、George McNeil The Labor Movement: The Problem of To-Dayより  一連の手紙のなかでもっとも注目されるのは、ゴンパーズのものを別とすれば、やはり労働騎士団(Order of Knights of Labor)のジョン・ヘイズからの手紙でしょう。労働騎士団は、いうまでもなくアメリカ労働総同盟(AFL=American Federation of Labor)に先行する全国組織で、当時はAFLと対抗的な関係にあった組合です。一般には、房太郎とゴンパーズとの親密な関係の陰に隠れて、あまり問題にされてきませんでしたが、房太郎は労働騎士団の機関誌を定期的に購読しており、日本の労働組合運動のモデルとしてAFLよりむしろ労働騎士団に注目していました。幸い、ヘイズに宛てた書簡の下書きが残っていますから、房太郎が労働騎士団についてどのように考えていたのかも分かります。

ニューヨーク、ブルックリン、ゴールド街126
1894年8月25日

労働騎士団書記長 J.ヘイズ様
拝啓
 日本の働く人々がおかれている事態を改善するための最善の方策をつくり上げるべく努力している過程で、私は、日本の労働階級がおかれている嘆かわしい状態をもたらしているのは、彼らの間に広がっている無知にある、と確信するようになりました。もしこの推測が正しいとすれば、その解放にむけての第一歩は彼らを教育することにあります。効果的な教育事業のためには、彼らを結集させる必要があります。それには、貴団のような強力な組織のもとに労働者を集めなければなりません。労働運動についてまったく知られていない日本では、職業別労働組合の方向に労働者を組織することは愚行であると思います。それでは、いたずらに多数の弱小組合を結成するに終わってしまうからです。
 そのように考え、私のこの1、2年ほど、貴団の活動に注目して来ました。その結果、貴団の経験が日本にも適用可能で有益であると考え、帰国後、労働運動の宣伝活動を始めるにあたっては、貴団と同様な計画の採択を提唱するつもりでおります。
 ただ現在の私には、組織の詳細についての知識が欠けています。貴団には州別、地域別、支部、職業別など多くの形をとった組織が存在することは承知していますが、各組織の基盤、たとえば州の組織がいかに形成されているのか分かっていません。それは、支部や地域別組織が結集する中央組織なのでしょうか? あるいは支部や地域組織とは別個に作られているのでしょうか? 職業別組合は、支部や地域組織のメンバーが職業別に結集しているのでしょうか? 入会金や月々の組合費は、各種の組織で一律なのでしょうか? また中央組織の財源はどこから得られているのでしょうか?
 これから創立しようとしている組織の成功を保証するためには、こうした細部に関する知識が最も必要なのです。しかも現状では、もし最初の組織化の企てが失敗するならば、以後10年から15年は同様な企ては出来えないでしょう。
 まことに恐縮ですが、こうした問題に関する詳細な情報をご教示くださいませんでしょうか。そのご親切に大いなる謝意を表すると同時に、日本の労働者に対する大いなる福音をもたらすものと存ずる次第です。

本書簡下書き原文

 この手紙で注目されるのは、すでに紹介したゴンパーズ宛ての第一書簡との違いです。ゴンパーズに宛てた手紙で房太郎は「日本の労働組合のあるべき組織形態として、職業別組合がよいか地域的組織を選ぶべきか迷っている」と述べていました。ところが、このヘイズ宛ての手紙では職業別組合の路線をとるのは「愚行」だとまで言い切っています。
 この手紙の日付は、下書きでは8月25日になっていますが、実際に出されたのは8月31日でした。ヘイズは直ちに返事をよこしました。そこでは、房太郎の質問の焦点のひとつである組織の具体的なあり方について詳しく説明した後で、次のように書き送って来ました。

ペンシルヴァニア州フィラデルフィア
'94年9月1日

F.タカノ様

拝啓、8月31日付貴簡拝受いたしました。
〔中略〕
 私どもは、長年の試行錯誤の後、最善の組織形態は、ひとつの職業または複数の職業で支部組織をつくり、それが職種混合的な地域組織に属するものであることを発見しました。私見では、州組織や職種別の全国組織はかならずしも成功していません。どちらの場合も、役員が組織の維持に必要な頻度で支部を見て回ることが出来ないため、消滅する場合があるからです。これに対し、連邦下院の選挙区を組織範囲とする地域組織の場合は、役員が毎週、各支部を訪問することができるので、他の組織形態よりずっと良い成果をあげています。
 わが労働騎士団はニュー・サウス・ウエールズ、ニュージーランド、オーストラリア、ホノルル、イングランド、スコットランド、アイルランド、フランス、ベルギーおよび南アフリカにも組織を有しており、さらに他にも次回の役員会にかけるための加入申し込み書が提出されています。
 もし日本で労働騎士団が発足するなら──貴兄がそうされることを信じていますが──この上ない喜びです。その際、職業別組合を結成しようとするのはあまり良いことではありません。それは職業別組合は組合員に賃金だけが組織化の目的であると教え、賃金問題だけが組合内で議論され、労働問題一般に関する議論をはじめ、わが労働騎士団の宣言や原則に由来するより高度な教育を受ける機会を失するからです。
 別便で我が団の規約を送ります。もしさらにお役に立つことがあれば、いつでも遠慮なくお申し越しください。

本書簡原文

 しかし、なぜか房太郎は、こうした労働騎士団の呼びかけには応えず、アメリカ労働総同盟との結びつきを選びました。日本労働組合運動のモデルとしては労働騎士団の方が優れていると考えていたのに、こうした選択をしたのはなぜでしょうか。考えられる理由のひとつは、房太郎がアメリカ海軍の水兵としてニューヨークに留まらざるをえない状態にあったことです。AFL本部がニューヨークにあったのに対し、労働騎士団の本部はフィラデルフィアにあり、直接、面談の機会を得るには遠すぎたのでしょう。しかし、その気になれば、ニューヨークで就職する前に労働騎士団を訪ねることも不可能ではありませんでした。
 なぜかAFLに対してはグレイト・バーリントンにいる時から接触を求めていたのに、労働騎士団へは、それから半年近くたった後で手紙を書いているのです。ジョン・ヘイズに手紙を書いた時には、すでにゴンパーズとは何回も手紙のやりとりをしていました。すでに衰退傾向にある労働騎士団よりは、AFLを選んだということなのかもしれません。いずれにせよ、房太郎は、労働運動の伝統がない日本では、いきなり職業別組織から出発しても弱小組合の乱立を招くだけだと考えたことが労働騎士団型の組織を選ぶべきだと考えたので、最終目標としてはAFL型の職業別組合を否定したわけではなかったのでした。

 組合組織のあり方についての意見を求めたのは、労働騎士団だけではありませんでした。機関士組合(Grand International Brotherhood of Locomotive Engeneers)と機関車火夫組合(Brotherhood of Locomotive Firemen)の2つの鉄道関係の労働組合からの返信は、もっぱらこの問題に答えるものでした。機関士組合は、労資協調を主張し、日本の事情については分からないとして、事実上、答えていません。一方、機関車火夫組合は、労働騎士団型の組織に反対し、階級的立場から、職業別組織の重要性を説いています。鉄道関係の労働組合としては、この2組合のほかにも産業別組織であるアメリカ鉄道労働組合(American Railway Union)、さらには車掌(conducter)、列車の制動手(brakeman)、転轍手(switchman)などの職種別組合がありましたが、房太郎がこれらの組合にも手紙を書いたのかどうかは分かりません。ただ、プルマン・ストライキの直後ですから、アメリカ鉄道組合(American Railway Union)には出していた可能性は高いと思われます。数多い組合のなかから鉄道関係の組合の意見を求めた背景には、プルマン・ストといった大争議を見聞した直後であることと同時に、日本での鉄道網の発展が念頭にあったに違いありません。 

 房太郎が知りたいと思っていたのは、日本における労働組合の組織形態のあり方だけではありませんでした。 たとえば、アメリカ葉巻工組合(Cigarmakers International Union of America)宛ての手紙では、主として労働組合の共済機能について教えを求めています。1894年5月31日付の返事で、同組合の組合長G. W. パーキンスは、次のように書いています。

 拝復 今月25日付のお便りで、私どもの組合の給付金制度についてお尋ねくださいました。まず申し上げたいのは、この制度は1879年に創設されたのですが、当時はただひとつの手当だけ、すなわちストライキ手当のみで、6ヵ月間は実際に支給されることはありませんした。つぎに重要な意味をもった手当は、1881年に設けられた週4ドルの疾病手当で、これも最初の6ヵ月間は支給しませんでした。しかし、 拠出金の週5セント増などを認めました。私どもは、この10年間につぎのような手当を設けました。ストライキ、疾病、旅行、死亡および失業がそれです。
  それぞれの手当を加えるごとに私どもは拠出金を週5セントずつ引き上げ、今では週25セントの拠出金と年2回の特別拠出金50セントを支払っています。
  私見では、現在、私どもが享受しているような諸手当を一時に採用するのは無理だと思います。もちろん高い拠出金を支払い、手当を支給するのに半年か1年の猶予期間をおけば話は別ですが。私は、一時には、つまり各年度の大会において、1つか2つの手当制度を設けるようにするべきだと考えます。
  私どもは、それぞれの手当についての特別基金を設けてはおらず、支払われた拠出金はすべてひとつの基金に組み込まれ、そこからすべての手当を支払っています。
  ご質問の第2の給付金制度の歴史については、すでに申し述べたところでお答えしております。
  第3のご質問点、つまり諸手当を加入者が選べるようにするか否かという点については、断然ノーです! 組合員全員が決められた額の拠出金を支払わねばならず、決められた給付金は受け取らせるようにすべきです。
  第4の拠出金の額をどのようにして決めたかというご質問ですが、私どもの組合の給付金制度のほとんどは、イギリスの古くからの労働組合の制度を模したものです。ですから、私どもは、長期にわたって支払い可能な、給付金の額と拠出金の額とを決める実際的な基準を有していたわけです。
  しかしながら、貴国と我が国との間では、購買力や経済条件が大きく異なっていますから、給付金と拠出金をどれほどの金額にすべきか、私から申し上げることは不可能です。
  この手紙とともに、私どもの規約、前の大会の議事録、会計報告とチラシを同封いたします。
  結論的につぎのことを申し上げたいと存じます。それはどんな労働組合でも、組合員へ給付金をきちんと支払い、そのために高額の拠出金をとることこそ、組織の維持にとって絶対的に必要だという点です。
  諸給付金制度を導入する際には、つぎのような順序でなさってはいかがかと思います。最初にストライキ手当、ついで少額の週単位の疾病手当、つぎに失業手当です。どの手当の支払いも少額から始め、手当の支払いをうまく持続できると感ずるようになったら、金額を増加するようにすることです。
  同時に、多額の基金を準備しておくことが、労働組合の存続と成功をもたらす、たいへん重要な要因です。多額の基金を有する組合は、そうでない組合にくらべ、雇用縮小の際にストライキに訴えずにすませられるでしょう。
  もしなにかご理解いただけない点があったり、特に問題な点がありましたら、どうぞ遠慮なくおっしゃってください。喜んでお答えいたします。
                     敬具
                     G.W. パーキンス
                     組合長 

本書簡原文

 この返信を見れば、房太郎が労働組合の共済機能について、かなり具体的な質問を出していたことがうかがえます。葉巻工組合に問い合わせたのは、ゴンパーズの勧めによるものでした*4

 以上のほか、7月19日付のエセックス労働組合評議会(Essex Trade Council)のベックメヤーは、これまでの労働運動は生産者の運動と考えられてきたが、消費者の運動としての側面が重要であることを強調した手紙を書き送って来ています。このエセックス労働組合評議会は、ニューヨークの対岸にあるニューアーク市を中心とするジャージー州エセックス郡の17の労働組合が加盟する組織ですが、加盟組合員が消費者として商品を購入する場合に、同じ組合員仲間が生産した商品を購入することで、組織化の推進を図ろうとするものだったようです。ニュージャージー州エセックス郡労働組合評議会のチラシ なお、同評議会のチラシによると、その総購買力は毎週40万ドル以上と称しています。組合数17といっても葉巻工、帽子職人、印刷工、パン職人、ウエイターなど、せいぜい組合員数百人規模の組合ばかりで、どんなに大きくみても組織人員は数千人ではないかと推測されます。かりに4000人としても、組合員1人あたり毎週100ドルを超える購買力がないとこの額には達しません。もしこの巨額の購買力が事実だとすると、労働組合以外のメンバーも参加していたのかもしれません。

 しかし、何といっても、房太郎のその後に大きな意味をもったのは、サミュエル・ゴンパーズととの度重なる文通と直接の面談でした。それについては、次回で詳しくお話しすることにしましょう。

 

【注】

*1 1891年10月20日付、高野岩三郎宛て房太郎書簡参照。現代語訳は第33回「〈材木伐出場〉企業計画」参照。

*2 上掲の書簡のなかで、房太郎は自らの日本雑貨店破産の経験をふまえて、アメリカ体験をもつ者が日本に帰った時の問題点をさまざまな角度から論じています。その中で注目されるのは、彼がつぎのように述べている点です。「彼らがこの国で見聞したところが、将来、役に立つこともありうるでしょう。この見聞が役に立つのは、日本においてだからであって、異国においてはほとんど役には立たないものです」。
 彼が日本に労働組合運動を伝えようと考えたのは、まさにこうした自らの見聞を故国で役立てることを考えたからに相違ありません。

*3 これらの書簡は、すべて房太郎の死後、弟・岩三郎が保管しており、その死後、岩三郎の女婿である宇野弘蔵氏の手にわたった。1963年には宇野氏から史料の提供をうけた隅谷三喜男氏が「高野房太郎と労働運動──Gompersとの関係を中心に──」と題する紹介論文を書いている(東京大学経済学部『経済学論集』第29巻第1号、1963年4月)。その後、史料のほとんどは法政大学大原社会問題研究所に移管された。ただなぜか、労働騎士団のジョン・ヘイズからの書簡は含まれていない。しかし、その全文は前掲の隅谷三喜男論文に紹介されている。
 なお、これらの手紙を原文のまま翻刻したものを、本著作集別巻4 Fusataro Takano Papersとして、掲載している。
 今回、使用した手紙の原文は、以下を参照していただきたい。

*4  サミュエル・ゴンパーズから房太郎宛て1894年5月9日付。原文はA letter from SG to FT, May 9, 1894.






Written and Edited by NIMURA, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
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