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高野房太郎より高野岩三郎宛書簡(1892年5月30日付)

 五月五日御認ノ御書面及写真二葉正ニ入手仕候。
高等経済原論未タ入手不仕。郵便局ニモ問合候得共、左様之
者ハ無之トノ事ニテ、或ハ有税品ノ為メ桑港郵便局ニ留置カレ
タルヤト掛念シ、其由当地郵便局ヘ申入候処、一応ハ当地迄廻シ
来ル者ニテ決シテ桑港ニ留置ク者ニアラズトノ事ナリシ。最早
郵船着后一ヶ月ヲ過ギ居レバ、必ラズ紛失致候事ト存候。乍去
一応念ノ為メ御地郵便局御取調被下度候。若シ愈々御地ニテ
見当ラズ候ハバ今便送金ノ内ヲ以テ天野氏ノ経済原論(高等経済
原論ハ御見合被下度、何ントナレバ或ハ処違ヒ等ニテ誤送ノ后、小生手元ヘ
送リ来ルモ難計、其時ニ二重ニナルノ恐有之候)若クバ近日出版
ノ威氏経済学(佐藤昌造訳)御買求、御送リ被下度。小生ノ唯望
ム所ハ此等訳書ニ依リテ適当ノ訳語ヲ得度ノミニ候〔1字抹消〕故ニ
〔2字抹消〕彼経済雑誌社ニテ出版セシ富国論ナゾハ大適当ニ候。若シ
仝書廉価ニテ御手ニ入ル事ヲ得バ、経済原論或ハ威氏経済学ヨリハ
仝書御買求願上候。
去ル廿三日桑港正金銀行ヘ向ケ為替五十弗差送、日本ヘ
為替取組ノ事ヲ依頼シ遣リタリ。未其返事ヲ得ズ候得共必ラズ
今便ニテ取組呉候事ト存候。当時為替相場ハ判然不致候得共
壱円廿八九銭ニ可有之、左スレバ五十八九円ハ貴弟大学入校ノ
費用ニ御充テ被下度、即チ為替金五分ノ一ハ来月分ノ送金ニシテ
残余ハ貴弟ノ分ニ候。
偖〔3字抹消〕右ノ残余金ハ貴弟御入用ノ時迄銀行ヘ御預ケ置相成候テハ
如何や。生計兎角豊ナラザルトキニ於テハ、色々ト金ノ融通ヲ為スハ
普通ノ事ニ候得共、夫ガ為メニ終局不自由ヲ感スル事ハ間々有之
事ナレバ、右ノ金ハ当方ヨリ未タ送リ来ラザル者ト看倣シテ
銀行ヘ預ケ置カレナバ万事都合宜カルベシト存候。
今度御送リ被下候写真ハ実ニ無此上感情ヲ与ヘ候。小生ガ貴弟
ト相見タルハ今ヨリ六年ノ昔ナリ。〔10字抹消〕
四尺有余ノ〔1字抹消〕男児、十五六才ノ児童ハ是レ余ガ心中ニ画キシ岩三
郎ナリ。去レバ、小生ガ書状及写真ヲ受取リシトキ一友アリテ先ズ写真ヲ
出シ貴弟ノ分ヲ小生ニ示シテ是レ君ノ弟カト問ヘリ。一目セル処、余
ノ画キシ岩三郎ニアラザルナリ。余ハ答ヘテ曰ク否ト。今一葉ノ母ト
写リ居レルヲ採リ出シテ、之ヲ見〔1字抹消〕始メテ余ノ岩三郎ハ五年以前ノ
岩三郎ニシテ今日ノ岩三郎ニアラザルヲ思ヘリ。去ルニテモ貴弟ノ
成長セル、半形写真ノ Proportion ヲ以テスレバ、貴弟ノ体格
ハ遙カニ小生ニ優レリ。其顔貌ノ勇ナル其胸辺ノ広ナル、是レ
実ニ一個ノ壮男児ナリ。母上ハ見タル処ニシテハ格別ノ異ナリタル所モ
ナク五年以前ノ尊顔ハ今日ノ尊顔ニ仝ジ。小生ハ心窃ニ母上ノ
老ヒタルヲ思ヒ、従ツテ其心中ニ画キシ者モ殆ンド一個ノ老婆然
タル者ナリシナリ。見レバ御壮健ノ様子実ニ満足ノ外無之候。小
生ノ写真御所望ニ候ガ持合セハ無之、近日撮影御送可申候。
自身ハ其容貌ノ変化ハ心付カズ候得共、定メシ小生ガ貴弟ノ写
真ヲ見テ驚キシ如ク大ニ変ワリタル処モ可有之、乍去身ノ丈ハ今尚
異ナラズ一個ノ矮小男子ニ候。
当地ハ頃日漸ク春気立チ候。夏ハ今一月モ立チナバ来ル事
ニ候ハン。
右迄  匆々
  五月三十日
                     房太郎
                     1317 C. St.,
                     Tacoma, Wash.
岩三郎殿



コスモポリタン・ホテルの用箋使用。
封筒はPacofoc Messenger Co. のもの。
1892年5月30日午後11時、タコマ局消印。
表書きはつぎの通り。
「日本東京本郷区駒込千駄木林町百八十番地 高野岩三郎殿」




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