第5部 史料研究──発掘と吟味
- 『無産者新聞』小史(上)
(1999.9.25掲載)
復刻シリーズ 日本社会運動史料》のために執筆した書誌的研究論文。『無産者新聞』は、1925年から28年にかけて刊行された日本共産党の「合法機関紙」で、戦前の社会運動機関紙誌のなかでは最大の発行部数を有し、社会・労働運動関係者の間での影響力は大きかった。(上)では、 創刊事情、無産者新聞社の組織などについて紹介している。
初出は、上中下の3分割でなく、上下に2分割して法政大学大原社会問題研究所『資料室報』No.247(1978年8月)およびNo.249(1978年10月)に掲載した。その後、訂正のうえ1979年に刊行した復刻版『無産者新聞』〔四〕に「解題」として収録した。
- 『無産者新聞』小史(中)
(1999.9.25掲載)
(中)では、無産者新聞社の執筆、編集、刊行などを担当した人びとについて述べている。本社の編集・営業などに従事した人びとは、氏名が判明しているだけでも60人をこえる。本稿執筆のためにお目にかかった二十数人の関係者のほとんどは故人になってしまわれた。
- 『無産者新聞』小史(下)
(1999.9.25掲載)
(下)では、 「4 印刷および配布」「5 財政状態」「6 終刊事情」「7 号数確定の根拠について」「8 発禁号の特定」を収録。
- 新人会機関誌の執筆者名調査
(2000.2.12掲載)
初期新人会の機関誌である『デモクラシイ』『先駆』『同胞』『ナロード』の4誌について、無署名、ペンネームなどを調査、復元した。文献調査のほか、関係者多数からの聴き取りによって、従来不明だった筆者多数を明らかにしている。《復刻シリーズ 日本社会運動史料》の準備作業として、法政大学大原社会問題研究所『資料室報』第148号(1969年2月)に掲載。
- 雑誌『マルクス主義』の5年間(1)
(2000.1.27掲載)
《復刻シリーズ 日本社会運動史料》の準備作業として、大原社研『資料室報』203号(1974年 5月)、215号(1975年7月)に掲載。ここでは、警察官による聴取書や予審訊問調書などの刑事記録の史料としての問題点を検討している。
- 雑誌『マルクス主義』の5年間(2)
(2000.1.27掲載)
《復刻シリーズ 日本社会運動史料》の準備作業として、大原社研『資料室報』203号(1974年 5月)に掲載。この部分では、解党状態だった第一次日本共産党の再組織の中心だった「ビューロー」の実態と『マルクス主義』の創刊事情、さらに1925年に開かれた「上海会議」とその影響について論じている。
- 雑誌『マルクス主義』の5年間(3)
(2000.1.27掲載)
《復刻シリーズ 日本社会運動史料》の準備作業として、大原社研『資料室報』215号(1975年7月)に掲載。1925年に共産党再建の第一歩として結成された「コミュニスト・グループ」について検討している。
- 雑誌『マルクス主義』の5年間(4)
(2000.1.27掲載)
《復刻シリーズ 日本社会運動史料》の準備作業として、大原社研『資料室報』215号(1975年7月)に掲載。ここでは「コミュニストグループ」のメンバーが誰であったか、およびグループと『マルクス主義』の関係について調べている。
- 雑誌『マルクス主義』の執筆者名調査
(2000.3.5掲載)
文献調査とともに多数の関係者からの聴き取りによって、無署名論文の筆者やペンネームを調査。また同誌の刊行状況および発売頒布禁止状況も調査し、従来の書誌の誤りを正している。《復刻シリーズ 日本社会運動史料》の準備作業として、大原社研『資料室報』177号(1971年11月)に掲載。なお、末尾に『資料室報』215号(1975年7月)に掲載した「雑誌『マルクス主義』の執筆者名調査補正」を加えた。
- 労働組合組織率の再検討──国際比較を可能にするために(1)
(2000.10.17掲載)
日本の労働組合組織率統計が組織実態を正確に反映していない点を指摘し、他の統計を使ってより実態に近い数値の算出をこころみた論稿。この(1)では、つぎの3点を指摘している。a)第二次大戦前の組織率と戦後の組織率とでは、基準となる労働者数、組合員数の定義や捕捉方法が異なり、そのままでは接合できない。b)戦前の組織率を戦後基準で計算し直すと約2分の1前後になる。c)しかし、戦前の労働組合は筋肉労働者だけの組織だったから、戦後基準で算出した数値では運動の実態が過小評価されてしまう。
- 労働組合組織の再検討──国際比較を可能にするために(2)
(未掲載)
論文の後半は戦後の組織率について検討している。ここでは、推定組織率算出の分母となる労働者数に『労働力調査』の「雇用者」数を用いていることが、推計結果に大きな歪みをもたらしている事実を指摘している。つまり「雇用者」数は、本来的に労働組合員たりえない「会社役員」や法的に組合を組織することを認められていない警官や自衛隊員なども含む数値であり、これを分母に用いていることで、組織率は実際より過小となり、国際比較も不可能となっている。
そこで、この歪みを是正するため「国勢調査」「賃金構造基本調査」など他の統計を使い、より実態を反映する組織率、国際比較が可能な組織率の算出を試みている。
- 第2次大戦直後の労働組合統計の吟味
(1997.9.25掲載、2000.4.7 校正及び補正して再掲載)
これは独立論文ではなく「戦後社会の起点における労働組合運動」の冒頭部分である。現在使われている労働組合統計の第二次大戦直後の数値には少なからぬ脱落があることを論証している。また、敗戦直後のホワイトカラー組合員の数やその組織率についても推計している。
- 農商務省『工場統計表』の集計洩れについて
(2000.3.18掲載)
これも独立論文ではなく、岩波講座『日本歴史』18 近代5(1975年刊)所収の「労働者階級の状態と労働運動」の一部、それも「注」における指摘にすぎない。しかし内容的には、第一次大戦中の日本の労働者階級の増加を示す統計として広く使われてきた『工場統計表』の数値の信頼性に問題があることを『工場監督年報』の数値とくらべて指摘したもので、それなりの意味をもつと考える。回顧座談会参照。
- 1880年代の鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(1)
(2000.5.25掲載)
- 1880年代の鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(2)
(2000.5.25掲載)
古島敏雄氏をはじめ従来の日本経済史、賃労働史研究が「原蓄期」の労働者数について、たまたま残っている統計を吟味せずに使っているため、生産統計などと著しく矛盾した結論を出していることを批判し、新たに発掘したデータによって、この時期の鉱山労働者が通説をはるかに超える数であったことを明らかにした論稿。(1)(2)をあわせて「原蓄期における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味」(上)のタイトルで法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』第289号(1982年9月)に掲載。
- 1880年代における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(3)(2000.5.30掲載)
1880年代の鉱山労働者数を各府県ごとに吟味したもの。「原蓄期における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味」(下)として法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』第290号(1982年10月)に掲載した論稿の前半。
- 1880年代における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(4)(2000.5.31掲載)
1880年代後半から90年代初頭の産業別労働者数に関する研究が依拠してきた「会社種類別」の職工数が信頼できないことを指摘。最後に1875年の鉱山労働者数についても推計している。「原蓄期における鉱山労働者数」(下)として法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』第290号(1982年10月)に掲載した論稿の後半部分。
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第1回
(2001.3.6掲載)
高野房太郎が匿名(〈O.F.T.生〉名義)で、1887(明治20)年から1888年にかけて『読売新聞』に寄稿した通信5本。いずれも岩波文庫『明治日本労働通信』には収録されていない。
渡米の際、PO汽船とカナダ汽船との得失比較、サンフランシスコにおける日本商品店の状況、商業研究のために渡米する人への忠告など。
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第2回
(2001.4.21掲載)
サンフランシスコで日本商品店を開く場合の費用、労働者が渡米することの利害得失。
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第3回
(2001.5.16掲載)
サンフランシスコにおいて中国人経営の日本商品店と競争することの難しさ、日本からの茶の輸出について。
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第4回
(2001.11.7掲載)
共和・合州〔民主・共和〕両党の大統領予備選挙の状況。
- 高野房太郎「米国桑港通信」 第5回
(2002.2.10掲載)
新しい中国人排斥法案(Chinese Exclusion Bill)について。
- 高野房太郎「桑港に日本旅店を創設するとは信乎」
(未掲載)
〈在米桑港 一商生〉の名で『読売新聞』に投稿したもの。1888(明治21)年8月1日および2日号に掲載。高野房太郎執筆の確証はないが、掲載紙、掲載時期、文体などの情況証拠を考慮すれば、99%間違いないと考える。
- 片山潜の未発表自伝続編
(未掲載)
片山潜が執筆し、堺利彦にその整理が任されたと推定される『片山潜自伝続編』の草稿。
- 亀戸事件小論
(2000.6.2掲載)
1923年9月関東大震災のさなかに、平沢計七、川合義虎ら労働組合員10人が行方不明になる事件がおきた。その後、自由法曹団の弁護士らの努力で、彼らは亀戸警察署内において習志野憲兵隊の兵士によって虐殺された事実が明らかとなった。本稿は、つぎに掲げる『亀戸労働者殺害事件調書』の解説を兼ね、〈亀戸事件〉をめぐるさまざまな史実を検討したもの。初出は、法政大学大原社会問題研究所『資料室報』第138号(1968年3月)。
- 資料紹介『亀戸労働者殺害事件調書』(1)
(2000.6.2掲載)
この資料は〈亀戸事件〉発生の直後から、山崎今朝弥、布施辰治ら自由法曹団の弁護士が事件解明のため、関係者から精力的に聞き取りをおこない、それを調書として作成したもの。プロレタリア文学史をかざる金子洋文『種蒔き雑記──亀戸の殉難者を哀悼するために』はこの調書をもとに執筆された。
- 資料紹介『亀戸労働者殺害事件調書』(2)
(2000.6.2掲載)
前掲資料の後半部分。
- 資料紹介『(関東大震災時の)官憲ノ検束者ニ対スル暴状
(2000.6.2掲載)
関東大震災の際、中野警察署、淀橋警察署戸塚分署など亀戸署以外の警察署に検束された人びとに対する迫害を記録。このなかには浅沼稲次郎、稲村順三、北原竜雄、平林たい子らが含まれている。他に神道久三「検束される迄の記」など。
- 片山潜未発表書簡──「パーマー・ レイド」前後とモスクワ便り
(2000.5.25掲載)
カリフォルニア大学ロスアンゼルス校(UCLA)の〈少数民族アーカイブ〉に残されていた片山潜の未発表書簡14通の紹介。うち2通は、1920年1月2日夜、検事総長ミッチェル・パーマーの指揮下におこなわれた「あか狩り=パーマー・ レイド」を逃れた潜伏中の片山が支持者に送った長文の手紙。残りは1928年から32年にかけモスクワ滞在中の潜から在米の西村義雄に送られたもの。『資料室報』259号に掲載。
- 〔資料紹介〕永岡鶴蔵自伝「坑夫の生涯」
(2000.7.3掲載)
『社会新聞』に連載された永岡鶴蔵の自伝。明治期に書かれたほとんど唯一の労働者の自伝。
第1部 高野房太郎より弟・岩三郎宛の書簡一覧
- 1887(明治20)年7月31日付(カリフォルニア州ポイント・アリーナより)〔2002.5.5 掲載〕
- 1890(明治23)年8月8日(ワシントン準州タコマ市より)手紙
〔2002.8.5 掲載〕
同オリジナル画像データ
〔2002.8.5 掲載〕
- 1890(明治23)年10月9日(サンフランシスコより)
〔2002.8.19 掲載〕
同句読点ルビ付き
〔2002.8.19 掲載〕
同オリジナル画像データ〔2002.8.19 掲載〕
- 1890(明治23)年10月20日(サンフランシスコより)
〔2002.9.25 掲載〕
- 1890(明治23)年11月11日(サンフランシスコより)
〔2002.8.19 掲載〕
- 1890(明治23)年12月6日(サンフランシスコより)
〔2002.8.19 掲載〕
- 1890(明治23)年12月16日(サンフランシスコより)
〔2002.9.14 掲載〕
- 1890(明治23)年12月29日(サンフランシスコより)葉書
〔2003.1.4 掲載〕
- 1891(明治24)年1月9日(サンフランシスコより)葉書
〔2002.8.28 掲載〕
- 1891(明治24)年2月2日(サンフランシスコより)
〔2002.9.14 掲載〕
- 1891(明治24)年3月10日(サンフランシスコより)
〔2002.8.28 掲載〕
- 1891(明治24)年4月1日(サンフランシスコより)
〔2002.9.25 掲載〕
- 1891(明治24)年5月6日(サンフランシスコより)
〔2002.9.28 掲載〕
- 1891(明治24)年6月1日(サンフランシスコより)葉書
〔2002.9.30 掲載〕
- 1891(明治24)年6月13日(サンフランシスコより)
〔2002.9.30 掲載〕
- 1891(明治24)年6月24日(サンフランシスコより)葉書
〔2002.10.1 掲載〕
- 1891(明治24)年7月17日(サンフランシスコより)
〔2002.8.28 掲載〕
- 1891(明治24)年10月8日(サンフランシスコより)
〔2002.10.1 掲載〕
- 1891(明治24)年10月20日(サンフランシスコより)
〔2002.9.14 掲載〕
- 1891(明治24)年12月9日(サンフランシスコより)
〔2002.10.2 掲載〕
- 1892(明治25)年1月13日(サンフランシスコより)
〔2002.10.2 掲載〕
- 1892(明治25)年2月12日(タコマより)
〔2003.1.14 掲載〕
- 1892(明治25)年3月7日(タコマより)
〔2003.1.14 掲載〕
- 1892(明治25)年3月30日(タコマより)
〔2003.1.17 掲載〕
- 1892(明治25)年5月6日(タコマより)
〔2003.1.17 掲載〕
- 1892(明治25)年5月30日(タコマより)
〔2003.1.18 掲載〕
- 1892(明治25)年9月23日(タコマより)
〔2003.1.18 掲載〕
第2部 高野房太郎への書簡一覧
- 1895(明治28)年5月11日付 井山キワより〔2003.10.26 掲載〕
第3部 高野房太郎執筆、または執筆の可能性が高い文章
★ 高野房太郎「職工諸君に寄す」
(2004.5.9掲載)
職工義友会の名で発行された労働組合運動の宣伝パンフレット。現物は未発見だが、片山潜・西川光二郎『日本の労働運動』に全文が引用されたことで残った。
★ 労働組合期成会『工場法案に対する修正意見』
(2005.2.14掲載)
労働組合期成会が工場法案を審議していた農商工高等会議の議員に配布するために作成した意見書。房太郎執筆の可能性が高い
★ 労働組合期成会「佐久間貞一に対する弔辞」
(2005.2.2掲載)
第4部 1897(明治30年)高野房太郎日記
(未掲載)
1 Labor Report from Meiji Japan
- Labor Movement in Japan
American Federationist, vol.1 No.8 (October, 1894).
- The War and Labor in Japan
Social Economist, vol.Ⅸ (July, 1895)
- The Japanese Workers' Condition
American Federationist, vol.Ⅱ, No.1 (September, 1895)
- Chinese Tailors' Strike in Shanghai
American Federationist, vol.Ⅲ, No.1 (March, 1896)
- Labor Problem in Japan
Taiyo, vol.Ⅱ, No. 4(July 5, 1896)
- Typical Japanese Workers
Far East Ⅱ, No.4 (April 20,1897)
- Strikes in Japan Far East Ⅱ, No.6 (June 20,1897)
- A Remarkable Strike in Japan American Federationist, vol. Ⅳ. No. 7 ( September, 1897)
- Prospects of Japanese Labor Movement American Federationist, vol. Ⅳ. No. 9 ( November, 1897)
- Female Labor in Japan
American Federationist, vol.Ⅳ No.10 (December, 1897).
- Proposed Factory Act in Japan
American Federationist, vol.Ⅳ No.11 (January, 1898).
- A New Trade Union in Japan
American Federationist, vol.Ⅳ No.12 (February, 1898).
- Experience of a Labor Agitator in Japan
American Federationist, vol.Ⅴ No.1 (March, 1898).
- Strikes in Japan American Federationist, vol.Ⅴ No.2 (April, 1898).
- Great Railway Strike in Japan American Federationist, vol.Ⅴ No.3 (May, 1898).
- Labor Notes from Japan American Federationist, vol.Ⅴ No.6 (August, 1898).
- Life Condition of Japanese Workers American Federationist, vol.Ⅴ No.7 (September, 1898).
- Street Car Service in Tokyo American Federationist, vol.Ⅴ No.8 (October, 1898).
- Japanese Farmers American Federationist, vol.Ⅴ No.9 (November, 1898).
- Factory Legislation in Japan American Federationist, vol.Ⅴ No.10 (December, 1898).
- Japanese Factory Legislation American Federationist, vol.Ⅴ No.11 (January, 1899).
- Rodo Kumiai Kisei kwai American Federationist, vol.Ⅵ No.8 (October, 1899).
- From F. Takano to S. Gompers, March 6, 1894
岩波文庫『明治日本労働通信』 英文書簡編 一 助言を求めて 原文
- From S. Gompers to F.Takano , March 9, 1894
上掲書簡への返信 原文
- From F. Takano to S. Gompers, March 13, 1894
岩波文庫『明治日本労働通信』 英文書簡編 二 返信に感謝して 原文
- From S. Gompers to FTakano, March 16, 1894
上掲書簡への返信 原文
- From S. Gompers to F. Takano, April 19, 1894
1994年4月10日付の房太郎よりの手紙(現存せず)に対する返信。機関誌への寄稿を依頼。
- From F. Takano to S. Gompers, May 7, 1894
岩波文庫『明治日本労働通信』 英文書簡編 三 寄稿の勧めに応えて 原文
- From S. Gompers to F. Takano, May 9, 1894
上掲書簡への返信 原文
- From S. Gompers to F. Takano, July 10, 1894
機関誌の原稿受領への礼状
- From S. Gompers to F. Takano, July 10, 1894
- From F. Takano to S. Gompers, August 19, 1894
岩波文庫『明治日本労働通信』 英文書簡編 四 面会を求めて 原文
- From S. Gompers to F. Takano, August 21, 1894
上掲書簡への返信 原文
- From S. Gompers to F. Takano, August 30, 1894
上掲書簡への追伸 原文
- From S. Gompers to F. Takano, September 26, 1894
アメリカ労働総同盟のオルグに対する、パスワード送付の通知
- From S. Gompers to F. Takano, September 28, 1894
急な「帰国」の知らせに対する連絡。
- From S. Gompers to F. Takano, October 22, 1894
ゴンパーズより資料送付の案内、原文
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, July 28, 1895
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, February 5, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, February 18, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, March 7, 1896
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, July 5, 1896
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, July 22, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, July 28, 1896
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, October 10, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, October 31, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, November 28, 1896
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, December 11, 1896
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, January 4, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, February 20, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, March 29, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, April 15, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, May 2, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, May 19, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, June 24, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, July 3, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, July 7, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, July 8, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, August 21, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, September 3, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 15, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 17, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 26, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 29, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, October 24, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, October 27, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, October 28, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, November 8, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, November 16, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, November 23, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, December 2, 1897
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, December 17, 1897
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, January 7, 1898
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, April 30, 1898
- From Fusataro Takano to Frank Morrison, June 5, 1898
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, August 23, 1898
- From Samuel Gompers to Fusataro Takano, September 15, 1898
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, December 4, 1898
- From Fusataro Takano to Samuel Gompers, September 1, 1899
- A letter draft of Fusataro Takano addressed to Samuel Gompers, April 10, 1894
- A Letter draft of Fusataro Takano addressed to J. Hayes, August 25, 1894
- A letter from A. B. Kingsland to Fusataro Takano, December 12, 1888
- A letter from A. B. Kingsland to Fusataro Takano, December 27, 1888
- A letter from Albert Brayton to Fusataro Takano, October 24, 1889
- A Letter from Will Nissen Jr. to Fusataro Takano, October 24, 1889
- A Letter from E. S. Baker to Fusataro Takano, December 6, 1889
- A Letter from Will Nissen Jr. to Fusataro Takano, March 2., 1890
- A Letter from Will Nissen Jr. to Fusataro Takano, April 18., 1890
- A letter from John Hayes of the Knights of Labor to Fusataro Takano, August 6, 1891
- A Letter from Lucy Clark to Fusataro Takano, November 27, 1892
- A Letter from G. W. Perkins of Cigarmakers Int'l Unon to F. Takano, May 31, 1894
- A Letter from Henry Beckmeyer of Essex Trade Council to F. Takano, July 19, 1894
- A Letter from D. Everett of Brotherhood of Locomotive Engineers to F. Takano, August 13, 1894
- A Letter from L. P. August of Brotherhood of Locomotive Firemen to F. Takano, October 9, 1894
- A Letter from George Gunton to Fusataro Takano, June 28, 1895
- A Letter from George Gunton to Fusataro Takano, July 7, 1896
- A Letter from Percy Hollister Whiting to Fusataro Takano, August 14, 1896
1901(明治34)年に『労働世界』の発行所であった労働新聞社から刊行されたこの書物は、草創期の労働運動の実態を、その関係者が自ら記した貴重な記録である。ただ、この本は、これまできちんとした形で復刻されたことがない。これまで一般に広く利用されてきたのは、岩波文庫に収められている片山潜著『日本の労働運動』(1952年、山辺健太郎解説、なぜか共著者の西川光二郎の名を省いている)である。しかし、同書は原本によらず『明治文化全集』第21巻社会篇を底本としたため、原本の記述を誤って記している箇所がある。また、原本には数多く掲載されている口絵写真をまったく欠き、必要な注釈もほとんど加えられていない。この日本労働運動史の古典ともいうべき作品に、正確な解説・注釈を付し、利用しやすい形で提供したい。
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