『足尾暴動の史的分析──鉱山労働者の社会史』
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第3章 足尾銅山における労働条件の史的分析(続き)Ⅶ 不熟練労働者の賃金水準をめぐって相対的高賃金から全国平均水準へ
最後に,足尾銅山における不熟練労働者の賃金水準の推移とその特徴について簡単に検討しておきたい。まず,これまで明らかになっていることを確認しておこう。
1880年代の〈高賃金〉は,なによりも足尾銅山の労働力需要が短期間に急増したことによるものであった。坑夫や製煉夫と違い,不熟練労働者の場合は,労働力の供給面で,小作農民の二三男を中心に大規模な給源が存在したから,その募集は比較的容易であったと思われる。しかし,足尾銅山の労働力需要は,その絶対量が,当時としてはきわめて大ききかった。その上,労働災害の危険性が高い暗黒の坑内における労働で,しかも囚人を使役している,といったマイナス・イメージが色濃い職場であった。こうした状況で必要なだけの労働者を集めるには,やはり相対的な〈高賃金〉を提示するほかなかったのである。
【備考】
なぜこのような変化が生じたのであろうか。まず予想されるのは,足尾銅山の不熟練労働者に対する需要の減少である。操業開始当初では,ほとんど機械力を用いることなく,すべてを人力によってまかなっていた。採掘した鉱石や廃石の運搬,選鉱関係の労働者,焼鉱夫,鞴人夫,さらには操業に必要な木炭,薪炭などの原料・製品の運搬,食料品など日常生活の必需品の運搬などに膨大な人員を要した。こうした問題を解決するため,さまざまな機械等の導入による,省力化がはかられた。たとえば,吹床への送風を人力から水車や蒸気機関などの動力に代えたことは,鞴人夫を不用にした。焼鉱を反射炉から回転炉やストール焙焼炉に代えて焼鉱夫を減らし,さらにベッセマー錬銅法の導入で焼鉱夫はゼロになった。水力発電所の設置,木炭に代えてコークスの利用,さらには生鉱吹きの導入は薪炭夫や運搬夫を不要にした。道路や橋の整備,鉄索の架設,馬車・牛車鉄道の敷設,さらには電車の導入などは,原料,廃石,製品,日用品関係の運搬夫を減少させた。そのほかにも,所要労働力量削減の努力はさまざまな分野で続けられていた。
にもかかわらず1900年代になると,不熟練労働者の賃金に関する限り,足尾の相対的優位が失われたのは何故であろうか? 考えられるのは,労働力の給源の状況が1880年代とは異なったことである。おそらく,足尾程度の労働力需要は容易にまかい得るだけの労働力の蓄積が存在するようになったのであろう。足尾とその周辺にも,農作業などの余暇に銅山で働く人びとが生まれていた。さらに,富山,新潟,福井,石川の北陸4県を中心に,〈潜在的過剰人口〉が形成されており,同時にこれを現実に出稼ぎ労働者として足尾へ連れてくるネットワークが出来上がっていた(1)。足尾の賃金水準が,不熟練労働者に関する限り,全国の日傭労働者の賃金水準と連動するようになったのは,このように解釈できるのではないか。今のところは,一つの見透しにすぎないので,今後,機会があれば検討してみたい。
【注】[初版は東京大学出版会から1988年5月10日刊行]
【最終更新:
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Edited by Andrew Gordoon, translated by Terry Boardman and A. Gordon The Ashio Riot of 1907:A Social History of Mining in Japan Duke University Press, Dec. 1997 本書 詳細目次 本書 内容紹介 本書 書評 |
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