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高野房太郎とその時代 (36)




4. アメリカ時代(14)

日本最初の労働組合論

高野房太郎が労働運動に開眼した、ジョージ・マクニール著『労働運動──今日の問題』、高野房太郎旧蔵書の一冊。法政大学大原社会問題研究所所蔵

 前回、房太郎が職工義友会の創立にかかわっていたことを論証した際、私は「当時の在米日本人の間で、彼ほど労働運動に早くから関心をいだき、深い知識をもっていた人物はいませんでした」、と言い切りました。房太郎が、労働運動に注目したのは、義友会の創立より2年以上も前であることは、すでに第30回で指摘しましたから繰り返しません。しかし、高野房太郎の労働問題観や労働組合観については、これまでほとんどふれて来ませんでしたから、職工義友会について述べたこの機会に、彼が義友会創立の時点で、労働運動についてどれほどの知識をもち、どのような考えをもっていたのかについて、見ておきたいと思います。

 房太郎が労働組合運動に関する自己の見解を天下に公表したのは、彼がまだタコマにいた1890(明治23)年4月のことでした。職工義友会の創立に先立つこと、1年数ヵ月前です。かねて「桑港通信」を寄稿していた『読売新聞』に、《米国通信》として「北米合衆国の労役社会の有様を叙す」と題する長文の論稿を寄せたのです。高野房太郎「北米合衆国の労役社会の有様を叙す」『読売新聞』1890年5月31日付これは、同年5月31日から6月27日までほぼ1ヵ月をかけ、11回に分けて『読売』紙上に掲載されました。これこそ、日本で労働組合の意義を本格的に論じた最初の論文でした。もちろんそれ以前にも、経済学の教科書などで、労働組合について論及したものはありましたが、いずれも欧米の経済学書の翻訳あるいは翻案的なものばかりです*1。日本人が、自ら調べ、かつ考えた上で、資本主義社会における労働組合の役割を論じた文章としては、この「北米合衆国の労役社会の有様を叙す」が、まさにその嚆矢であるといってよいのです。
  これまで多くの研究者は、1890年9月23日発行の『国民之友』第95号に掲載された「労働者の声」が、労働組合の意義を説き、その結成を勧めた日本最初の文献であると主張して来ました*2。しかし、房太郎の「北米合衆国の労役社会の有様を叙す」は、その「労働者の声」より数ヵ月前に発表されているのです。
 実は、私はこの無署名論文「労働者の声」も高野房太郎が執筆した可能性が高いと考えています。しかし、今その点を論じはじめると、話が横道にそれますから、別の機会にしましょう。ここでは、先ず「北米合衆国の労役社会の有様を叙す」について紹介しつつ、彼の労働組合観をさぐりたいと考えます。ただ、文庫本では32ページにもなる長大論文ですから、主要な論点をかいつまんで──といっても長い引用をせざるをえませんが──見ることにしましょう。彼は冒頭で、まず次のように述べています*3

  アメリカ合衆国の政治史をみる度に、私たちは、労働者がこの国の政治に大きな力を及ぼしている事実に気づきます。中国人排斥法は、労働者のこの大きな影響力によって成立しました。この労働者の力によって、民主党の自由貿易主義は破られ、契約労働者の移住も禁止されました。また、共和・民主の二大政党は、この労働者の圧力を受けてそれぞれ党綱領の改正を迫られ、上院もまたこの力を無視し得ず、労働時間制限法案を上程しました。また、連邦の諸州も、州法でさまざまな労働者保護法を設けるにいたっています。

 これに続けて、彼は州レベルの労働時間制限や労働安全などさまざまな労働者保護法について具体的に述べた上で、労働者がこのような政治力をもつにいたった要因を問い、その答を労働組合の存在に見出してつぎのように論じ、さらにアメリカの労働運動史を概観しています。

  私は、アメリカ合衆国の労働者の団結こそが、今日のように労働者が大きな政治力をもつにいたった一因であることを信ずると同時に、この団結の力がアメリカの労働者をして、他国の労働者がこれまで享受したことがない安寧幸福を得た原因であると考えている。労働者が、巨大な資本の力に対抗して、それなりの権利を保つことが出来るのは、団結の力である。労働組合こそがアメリカの労働者を資本家の抑圧から救い、その社会的地位を向上させただけでなく、労資の争いを減らしたのである。〔中略〕
  労働者は、他の商品のように自由な移動ができず、常にその所在地でその商品である労働を販売するほかない。いかに安価でも、これを売らなければ餓死するほかない。労働という商品は、需要に応じて製作できるものではなく、死亡によって供給を減らすか、あるいは団結の力で供給を制限することができるだけなのである。
  労働組合が存在しない時代には、労働者と資本家の関係は奴隷とその主人との関係のようであった。こうした状況では、労資の対立はストライキ、暴動といった形をとり、あいついで激発せざるを得なかった。しかし、ストの多くは、教育、財産があり世論に訴える力をもつ資本家側の勝利に終わったのである。このため労働者側は秘密裏に組織化を進めざるをえなかった。
  しかし、いったん二三の州で、労働者の団結禁止法が解除されたのをきっかけに、労働組合は続々と組織され、資本家もこれを抑ええない状況が生まれた。大統領選挙でも労働者側の支援をえたジャクソンが当選し、1860年頃になると二三の州を除き、いずれも労働者団結を合法化するようになった。この結果、労資の対立は、労働組合対資本家連合の争いとなり、激烈をきわめた。労資双方がこうむった損害は莫大なものであった。しかし、この争いにより労働者は資本家の不当な抑圧を破り、自主自由の基礎を築いたことを考えれば、その損害はその成果に比べれば僅かなものといえよう。

 このあと、房太郎はアメリカの労働者がヨーロッパの労働者より賃金水準が高く、食費をはじめ諸物価が安いことを統計数字をあげて論じています。これを彼はアメリカの労働者が団結していることにその理由を求めるのですが、ここは国際比較としてはやや説得力に欠けると言わざるを得ません。とくに物価水準の低さを、労働組合の力で説明することには無理があります。

 以上が第1章「その現状及びその結合」の内容です。次の第2章は「北米合衆国労役者の三大敵」と題され、1)機械の発明、2)外国よりの移住者、3)懲役人の職業に従事する者について、論じています。これらの要因に共通しているのは、失業を増大させ、労働者間競争を激化させることです。ここでも彼は、年次毎の変化をしめす統計数字をあげて、その主張を裏付けようとしています。後年、弟の岩三郎は、日本における社会統計学のパイオニアになるのですが、その志向は兄から受け継いだものかもしれません。
 第3章は「同盟罷工」です。ここでの房太郎の主張のポイントは、「同盟罷工は労働者がその権利を保全する唯一の手段である」というにあります。労働者は、賃金が低いからといって、自由に移動するわけには行かない。したがって、ストライキは、労働者側が資本家側と対等の地位を占めるために、不可欠の手段だと論じているのです。ただし、彼はストライキの積極面を評価しているだけではなく、「同盟罷工」が労働組合にとって大きな負担を強いるものであることも指摘しています。彼が強調しているのは労働者の組織化であり、労働組合が大きな力をもつようになれば、労資双方ともストライキを避けて平和的な交渉の道を選ぶ可能性が増す、と主張しているのです。
 第4章は「労役時間の短縮」で、彼はアメリカにおける労働時間短縮運動の進展を紹介しています。ここで彼が注目しているのは、労働時間短縮が労働者に対し教育の機会を与える意義をもつことです。また、労働時間短縮が失業者を減少させる効果をもつことも強調しています。その上で、1890年5月1日を期して、アメリカ労働総同盟と労働騎士団が連合して、8時間労働日実現のための運動を展開することも報じています。彼がこの論稿を日本に向けて投函したのは同年4月30日、つまり彼は第1回メーデーの前日に、これを発送しているのです。
 第5章は「結論」で、彼はこの長大な論稿を次のように結んでいます。

  以上述べてきたところで、読者の皆さんは、アメリカにおける労働者の現状と、その資本家との関係を理解されたであろう。また、労働組合がいかに重要な存在であるかについても発見されたことと思う。私は、今後、労働組合がますます大きな勢力になるに違いないと考えている。資本家側も年々その団結を固めているので、労働者側もさらに団結を強固にしてこれに対抗する必要を感じているに違いない。その例証は、1886年12月のアメリカ労働総同盟の結成である。将来、この労資の関係はさらに複雑化するものと思われる。賃金問題や労働時間短縮問題は、今日における最重要の課題であるが、経済社会の実態は、これよりさらに重大な事件をもたらすに違いない。私は、労働組合がますますその勢力を拡張し、資本家の結合と匹敵するものとなって、労働者の権利を守ることを願っている。

 以上で紹介を終わります。テーマがテーマだけに、やや読みにくいものになったかもしれません。ただ、ここで私が言いたかったのは、つぎの2点です。第1は「北米労役社会の有様を叙す」は、直接的にはアメリカの労働事情、労働組合の紹介を意図した論稿ですが、内容的には資本主義社会における労働組合成立の必然性を論じたものであったことです。第2に「北米労役社会の有様を叙す」こそ、日本で最初に労働組合運動の意義を論じた文献であった事実です。

 この時房太郎満21歳、タコマ富士に故国への思いをはせる異国の地で、実業界における成功という夢の実現にはほど遠く、仕送りの金を稼ぐために、労働の日々を過ごしていました。こうした失意のなかで、房太郎は、まだほかの日本人がほとんど気づいていなかった労働組合を発見し、労働運動への関心を持ち続け、労働騎士団の機関誌を購読するなどして*4関連する情報を集め、考え続けていたのです。おそらく、労働問題、労働運動、さらに広くみれば経済学を学ぶことが、在米時代の高野房太郎の生き甲斐になっていたに違いありません。いずれにせよ、労働運動家・高野房太郎の生涯を理解するには、彼がどのような労働組合観、労働運動観をいだいていたかは、決定的に重要な問題ですから、これからも何回かふれることになるでしょう。ただ、今回は長くなりすぎましたので、ここまで。



【注】

*1 たとえば、Millicent G. Fawcett Political Economy for Beginners の訳書である宝節徳『経済入門』1873年)がそれである。小松隆二「日本における労働組合思想の導入過程──労働研究の成立と社会政策論」(『日本労働研究雑誌』366号、1990年4月所収)、小松隆二「日本労働組合論事始」(『三田学会雑誌』83巻3号、1990年10月所収)など参照。なお、高野房太郎は横浜時代に、すでにMillicent G. Fawcett Political Economy for Beginnersの原著を入手している。

*2 小松隆二「日本における労働組合思想の導入過程──労働研究の成立と社会政策論」(『日本労働研究雑誌』366号、1990年4月所収)、小松隆二「日本労働組合論事始」『三田学会雑誌』83巻3号(1990年10月)参照。
  なお、「労働者の声」の筆者は高野房太郎であろうと推測する根拠については第38回「〈労働者の声〉の筆者は誰か?」で詳しく論じている。
 なお、小松氏は、後述する高野の「日本における労働問題」に注目し、「北米合衆国における労役社会の有様を叙す」についてはふれておられない。

*3 引用は原文通りではなく、現代語訳、それも一部はかなり抄訳している。原文は、岩波文庫高野房太郎著『明治日本労働通信』に収められているので、ご参照いただきたい。

*4 1891(明治24)年8月6日付で、労働騎士団の機関誌部マネージャー John Hayesより、房太郎宛てに雑誌の講読料がきれた旨の通知がとどいている。189?と、書簡の年次の最後が欠けているが、1890年代で8月に彼がサンフランシスコにいたのは、この年だけである。同書簡の原文についてはつぎを参照。A letter from John Hayes of the Knights of Labor to Fusataro Takano, August 6, 1891






Written and Edited by NIMURA, Kazuo
『二村一夫著作集』
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