高野房太郎より高野岩三郎宛書簡(1892年1月13日付)
前略、四年前小生再航ノ節唯一人ノ仝船者ニシテ爾後
四年ノ日事〔ママ、日時?〕ニ二千円余リ貯蓄セル在留人士中ノ稀有ナル人
物宮城県人荘司直助氏〔二字抹消=今般〕二三ヶ月滞留ノ見込ヲ以テ
今便ニテ帰国セラル。無此上好便ナルヲ以テ兼テ思ヒ立
ル小生所持ノ書籍御地ヘ送ラント思ヒシモ折悪敷都
合不相運不得止手元ニアル二三ノ雑誌ヲ集メテ御送
リ申候。此等ノ雑誌ハ何レモ古物ニハ候得共后日参考
之種トモ相成可申故、御読了ノ后ハ蔵シ置被下度候。
学校モ去ル四日ヨリ閉校セリ。一生徒アリテ余ニ告ゲテ曰ク
仝級ノ某ハ退校セリ然レドモ本年五月ノ卒業式ニ列シテ
免状ヲ受クル事トナレリト。余謂ラク是レ甚ダ宜シ。元来我
級ハ昨年末ニ卒業スベキナルニ、学務局経費節減ノ為メ
卒業式ヲ本年五月ニ執行スル事トナシタル者ニシテ、今后五ヶ月
間ノ学問ハ多クハ復習スルニ過ギス。□□□校長ニ談判
シテ我亦彼等ノ顰倣ハント。依テ去九日校長ニ面シ一〔1字抹消〕方ニ
於テハ地位ノ困難ニシテ労働セサルベカラズ、多額ノ収入ヲ得サルベカ
ラズ、他方ニ於テハ彼某ノ例ヲ示シテ校長ニ談セリ。校長ノ曰ク
汝入学以来出来甚タ宜シ。余ハ汝ノ在校ヲ望ムヤ切ナリ。然レドモ
汝ニテ事情アル以上ハ、敢テ止メシ。我約スルニ卒業式場ニ於テ
免状ヲ渡ス事ヲ以テセン。又余ノ為シ与フ事ナラバ何ナリトモ保助
シ呉レント。大喜大欣。此ノ如キ始末ニテ学校モ愈停止致
シ、今ヤ一日労働口捜索ニ専ラナリ御休心被下度候。当時
「タコマ」表ヘ奉公口問合中ニ有之若シ仝所ニ能キ口モ
候ハバ早速出掛ケベク心得ニ候
荘司氏日本ニ金ヲ送リ尽シテ手元甚タ少ナシ依ツテ
小生ニ依頼スルニ御地ヘノ為替金ヲ当地ニテ仝人ヘ渡シ
仝人ヨリ御地ニテ渡ス事ヲ〔一字抹消〕以テセリ率直律義ノ人、
間違ナキハ保証附ナレバ、其言ニ応ジテ仝氏ヘ渡セリ。仝氏
着后三日間ノ内ニ御宅ヘ罷出十五円相渡ス筈成故
御受取下度候
右迄匆々
房太郎
壱月十三日
岩三郎殿
□□ヨリハ電信在之シ哉
右十五円ニテ余剰有之ラバ過日申送候天野為之氏ノ経済原
論ノ古本ヲ御買求御送リ被下度
当地ヨリ書面差上候迄ハ不相変「コスモ」宛ニテ御出状被下度候
コスモポリタン・ホテル用箋使用、封筒は市販のもの。
日本東京本郷区駒込千駄木林町百八十番地 高野岩三郎宛。
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