高野房太郎より高野岩三郎宛書簡(1892年3月30日付)
二月廿四日出之御手紙ハ正ニ入手仕候。別紙ノ通リ今便為替申上候。尤モ此度ハ去ル
廿六日ニ取組置シ故必ラズ五日桑港発ノ便ニテ送ル事ト存候。尚今后ハ勉
メテ其月中ニ御地ヘ着致様ニ取計可申候。
来九月大学御入校ノ節ノ入費ハ決シテ御心配御無用ニ候。小生喜ンテ御送リ可申
故、他ニ御才覚無之様望間敷候〔ママ〕。貴弟最始ノ大学入校ニ対スル小生ノ祝
賀□□意ヲ表スル迄ニ候得バ決シテ御懸念無之、来八月頃迄ニハ送金
可致候。
貴弟御養子御謝絶ノ理由ハ正ニ拝承致候。一二異見モ候得共是レ米
国流ノ思想ナルベシト存候故別段申述ベズ候。夫レトテモ枝流ノ事ニテ
大体ニ於テハ貴弟ノ御意見賛成致候。
中里虎次郎氏ヨリ先便ニテ書状来リ、暖炉売捌口問合来候得共
当地ニテハ如何トモ致方無之、来五月桑港ヘ罷越候節可否
御報スベシト御伝ヘ被下度候。
別紙井山氏ヘ御転送奉願候。尚同書中小生貯金額ニ就テ
御意見モ候ハバ御聞セ被下度候。
前便ニテ御依頼申上候経済書及新聞御取計願上候。
先便ニテ桑港ニアル友人城氏ヘ托シ「デツキンス」小説六冊相送リ
タリ。定メテ御受取ニ相成タル事ト存候。
不取敢右迄。 匆々
三月三十日夜
房太郎
1317 C. St.,
Tacoma, Wash.
岩三郎殿
10ドルの郵便為替同封。
コスモポリタン・ホテルの封筒使用。1892年3月31日午前7時、タコマ局消印。表書きはつぎの通り。
「日本東京本郷区駒込千駄木林町百八十番地 高野岩三郎殿」
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