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《編集雑記》15 (2006年7月〜)

《社会政策学会文書館》のこと

 昨年末から今年の1月にかけて、私が制作を担当している社会政策学会サイトのトップページを2つに分けました。サイト創設から9年、ファイル数が1000を超え、トップページがいささか混み合って来たからです。そこでホットな情報をトップページに残し、過去の記録は、第2トップページとして新設した《社会政策学会文書館》に移したのです。

 気が短いからでしょう、私は、階層の深いサイトを好みません。必要な情報がすぐに探し出せる点を重視しています。見栄えを気にするあまり、何回もクリックしないと肝心の情報にたどり着けないようでは、情報伝達を主目的とするサイトでは本末転倒だと考えています。ですから、筑摩書房のホームページのように、私には無意味としか思えないアニメーションだけのトップページにぶつかると、ついつい人には聞かせられないような罵声を発してしまいます。〔2007年4月追記:いつの間にか筑摩書房のトップページが変わっていました。ずいぶん良くなりました。〕また、学会関係のサイトに間々見られるのですが、トップページは使用言語を選ばせるだけのサイトも「無駄な画面を見せおって」とブツブツ言いながらクリックしています。おそらく「わがサイトには外国語版もあるぞ」と誇るためなのでしょうが、そうしたホームページに限って、英語版の内容は出来た時から何年間もずっと変わらない、まるでパンフレットのような代物が少なくありません。
  と言うわけで、私が制作に関与するホームページでは、サイトの全容がすぐ分かるようにすることを心がけて来ました。となると、トップの中心は詳細目次になります。この方式はある程度評価されて来たと思うのですが、それにも限界があります。年を追うごとにファイル数が増え、トップページが混み合って、必要な情報を探し出すのが難しくなるのです。そこで今回、苦肉の策として採用したのが、《オンライン文書館》でした。

  実は、社会政策学会では、3年前から学会予算にホームページ関連費が計上されるようになりました。何に使うべきかいろいろ考えたのですが、歴史のある学会ですから、まずは過去の活動記録の電子テキスト化を外部に依頼しました。
  その結果、戦前の学会誌『社会政策論叢』(1908〜22)をふくむ4つの学会機関誌について詳細目次を作成することができました。戦後分では『社会政策学会年報』(1953〜98)、『社会政策叢書』(1979〜98)、そして現在の機関誌である『社会政策学会誌』(1999〜)の3誌について、論文の小見出しまで記した詳細目次を制作公開しています。
  第2は、過去の学会活動を総括した文書のデジタル化です。具体的には『社会政策論叢』の各号に収められている「大会記事」、『社会政策学会年報』掲載の「学会記事」を活字版からデジタルテキストにおこしました。こうして学会史に関するファイルが増えたことも、第2トップとして《文書館》を設けた理由です。

 この《オンライン文書館》を開設して半年が経ちました。トップページはスリム化され、かなり分かりやすくなったと思います。一方《文書館》も半年のあいだに何回か手直しを重ね、埋もれている情報を見つけやすくしました。
  たとえば、ホームページそのものの歴史です。過去のホームページの具体的な内容は、これまででも、更新履歴をたどりさえすれば確かめることができました。しかし、それは制作を担当している本人だから知っていることで、訪問者が探し当てるのは容易ではなかったでしょう。しかし、《文書館》に〈ホームページの変遷〉欄を設けたことで、誰でも社会政策学会サイトの変化を簡単に見ることが出来るようになりました。
  また、《文書館》の設置にともない、サイト内のコンテンツにも変化が生じました。もともと学会サイトの第一の役割は、新鮮な情報をリアルタイムで提供することです。学会サイトの場合は、とくにこの点が重要だと考え、本雑記の《社会政策学会サイト開設5周年》でも強調しておきました。
  しかし、学会サイトの役割はそれだけではありません。学会の変化を記録にとどめ、誰でもすぐ見ることが出来るようにすることも、学会サイトの小さからぬ役割です。《文書館》の設置で、従来のサイト構成は、その点で不十分であったことに気づかされました。たとえば、現行の会則は分かっても、「会則」の歴史的変化をたどることはできませんでした。《文書館》設置後に、はじめて1950年の創立時の会則やその後の変化を記録したファイルを制作したのです。
  また、学会の役員欄は、その時点での役員一覧については気を使っていましたが、過去の役員氏名を調べるとなれば、Newsletter各号を見るほかありませんでした。しかし現在では、まだ過去10年間だけですが、各期の役員氏名一覧を見ることが出来るようにしました。同じことは、〈幹事会記録〉についても言えます。こちらは過去15年間について、Newsletterの元原稿などを利用して制作しましたから、だいぶ改善されました。今後は、さらに前の時期についても材料を集めて、記録にとどめておこうと考えています。
〔2006.7.29記〕


トップページの模様替え

 久し振りにトップページを変えました。と言っても、内容や構成を変えたわけではなく、デザイン面での変更です。これまで、トップページは重くなり過ぎないよう、テキスト主体で構成し、画像を使う場合も、できるだけ小さなサイズのものを選ぶようにして来ました。しかし、ADSLや光ケーブルが普及して来たので、実験的に、写真を背景に使ってみようと考えたのです。壁紙画像だとどうしても全体が単調になりますが、写真を使えば変化をもたせることが出来ますから。
  同時に、私が担当している社会政策学会サイトのトップページも、背景を壁紙画像から写真に変えました。その素材選びのとき、『二村一夫著作集』に向いた写真を見つけ、これを使おうと決めたのです。クリックすると背景写真だけが別窓に出ます 幹に苔むした大樹が連なる写真です。色彩的には、これまでホームページの基調色としてきた緑色が主ですから、その点でも適切だと考えました。
  ただ、背景に使うので、写真としてはその主要部分が隠れてしまいます。私自身、こうした場面にぶつかると「文字の裏にはどんな絵があるのだろう?」、と気になります。そこで、左下に背景写真のサムネールを入れて全容を示し、さらにサムネールをクリックすれば拡大写真が別窓で出るようにしました。これはなかなか良いアイデアだったと自画自賛しています。使ったのは自分の画ではなく、他人が撮った写真ですから「自画自賛」ではありませんね。こんな場合、どう言えばよいのかな。
  閑話休題。テキスト部分は従来とまったく同一ですが、ただタイトルの「二村一夫著作集」の文字を入れる枠に使ってきた画像が、木枠の左右に樹の葉の模様をあしらっていたのをカットしました。背景写真と重なるからです。

 背景を変えた後で、この樹木の写真をさらに生かすために、小鳥のさえずりをBGMに使うことを考えつきました。幸いことりのさえずりというサイトに、数多くの魅力的な鳥の鳴き声があり、これを使わせていただく許可を得ました。前からBGMは使いたいと考えており、実際に《編集雑記》の「刊行開始5周年」では、オルゴール風の音を出す曲を使っています。この時も、できればトップページで音を出したいと思っていたのですが、これは訪問する人によって曲の好みは違いますし、その方のパソコンの音量設定によっては、いきなりとてつもない大きな音が鳴り響くといった事態も考えられるので、取り止めました。その点、今回使った鳥の鳴き声なら、自然界にある音ですし、鳴り続けるわけでもないので、あまり問題はないだろうと考えてのことです。お聞きになっていかがでしょうか? ご感想などお教えいただけると幸いです。
  なお、今トップページでさえずっているのはオオルリですが、この《編集雑記 15》では赤翡翠アカショウビンを鳴かせています。赤い色の羽をもつカワセミの一種です。遠くでは、ウグイスやホトトギスの囀りも聞こえます。
〔2006.8.26記〕

       
音声素材は                      
ことりのさえずり からお借りしました
 

刊行開始9周年

 本著作集の公開を始めてから、今日で満9年になります。以前は、9月25日をめざしてサイトの構成を変えたり、デザインを変更することが多かったのですが、今回は、先月中に早々と模様替えを済ませています。前回の雑記で記したように、背景を変え、BGMに小鳥の鳴き声を入れたのです。

 早々とデザイン変更を済ませたのは、このところ少々スランプ気味だからです。昨年秋に母を喪い、今年初めに胃の切除手術を受けたといった私的な事情も響いているのですが、体力、気力ともにいささか衰え、執筆意欲が低下しています。
  その代わり、しばらく怠けていた大原社研の「研究論文リンク集」を増補したり、社会政策学会のサイトの充実をはかったり、本著作集の表紙を変えたりと、単純作業て気分転換をはかっている次第です。
 先月はそれでも、『食の自分史』を2本書き上げましたが、今月はまだ1本も載せていません。毎月、最低2本くらいは、何か新しい内容をつけ加えるよう努力してきたのですが、編集者がいない著作集なので、怠け心がおきると、とめどなくなります。辛うじて、先週『足尾暴動の史的分析』第3章の「むすび」を掲載しました。
  これで『足尾暴動の史的分析』は、すべて掲載し終えたわけで、それなりの意味はあるのですが、掲載を開始してから何と丸3年もかかってしまいました。

 とはいえ、この夏、何もせず無為に過ごしたわけではありません。なかでも、社会政策学会サイトに掲載した「社会政策学会再建のころ──内藤則邦氏に聞く」をなんとかまとめあげることが出来たことは、自分でも満足しています。
  内藤則邦さんは、関東大震災の年のお生まれですから、すでに数年前に傘寿をむかえられた大先輩、名著『イギリスの労働者階級』の著者です。社会政策学会の戦後再建期の学会の実務を、ほとんど独力で、しかも手弁当で担われた方です。その3年の間に6つの大会でなんと11の会場を準備し、『社会政策学会年報』を創刊するなど、〈縁の下の力持ち〉として草創期の学会を支えられたのです。お話の内容はこれまで語られたことのないもので、貴重な記録であると同時に興味津々たるものがあります。実は、7月末にはお話を伺っていたのですが、謙虚な方で、自己の経歴を掲載することを拒否されてしまいました。そこを何とか説得し、何回も手直してようやくご承諾いただいたのでした。

 もうひとつ、今も作業を続けているのは、旧友の高橋健三の個人サイト《たそがれの記》の再編の手伝いです。「手伝い」といっても頼まれたわけではなく、こちらが一方的に買って出た文字どおりの「お節介」です。
  高橋健三は、僕が中学3年の時、都立大泉高校併設中学へ転校して以来、大学までずっと一緒だった古くからの友人です。高橋は英語部、僕はテニス部、あちらは文学青年、こちらは文章を書くのが大嫌い、彼は飲んべえ、私は下戸と嗜好性向はかなり違っています。ただ、たまたま家が近く、4年間、毎日同じ駅を使っての通学仲間でしたから、いつのまにか親しくなりました。
  忘れがたい共通の思い出もあります。高校3年になる直前の春休み、彼ともう一人の友人・浜田竜之介を加えた3人組で、エイプリルフールに友人たちをひっかけたのです。かなり大規模かつ計画的なイタズラでした。「授業料未納、至急納入せよ」との督促の葉書を大量に印刷し、同級生や下級生数十人に一斉にばらまいたのでした。この計画は予想以上の反応があり、その日のうちに「10ヵ月未納などと書いてありますが、僕は全部払っています」と青くなって休み中の事務室に駆け込んだ優等生が出る一方、「再通知」と赤字で書き加えて出したら、実際にこの葉書をみた後で授業料を払った猛者もいました。優等生の方は後に東大薬学部教授となった長野晃三、猛者の方は後の全学連書記長・小野寺正臣です。何を隠そう、このイタズラを思いつき、足がつかないよう文字書きの「実行犯」としてすでに転校していた浜田竜之介を起用したのは、たまたま授業料未納で督促を受けていた私でした。

  高橋は当時から英語が得意で、英語劇の主役をつとめたり、1952年、大学1年生の時には『アサヒグラフ』の原爆特集の英訳作業の中心となり、雑誌とともにこれを海外に送る活動をするなど活動的な男でした。卒業後は母校の大泉高校をはじめ、いくつかの学校で英語を教え、組合活動に参加し、生徒達に慕われて来ました。定年退職後は、住んでいる団地で、管理組合の理事長や老人会の役員をつとめ、団地の30年記念誌を制作する中心になるなど、今なお活発に活動しています。
  《たそがれの記──日記、創作、書評、劇評、映画評》と題する彼のサイトは、2001年から、毎日のように記されている日記が中心です。ブログなどが話題にもならなかった6年以上も前から、彼は自らが関与している社会的活動について、また日々の暮らしをめぐるさまざまな出来事を、あるいは政治的、社会的テーマについて、旺盛な批判精神をもって記録し続けています。
  サイトの副題が示すように、ここには日記だけでなく、劇評・映画評、書評、自ら書いている詩や創作など、多様な内容が盛り込まれています。劇評は、「練馬演劇を観る会」の責任者としての長年の経験を生かした内容です。自らを「健爺」などと称し、老人ぶって《たそがれの記》といった名を冠していますが、内容は、書評には乃南アサ、坂東真砂子、桐野夏生など、私など読んだこともない女流作家の本を数十冊も取り上げ、サイトの色遣いも、明るいブルーやピンクを多用するなど、若々しい感覚に満ちています。日記や反戦欄で展開されている議論も、「たそがれ」から連想される「老成」とはまったく無縁のものです。

  ただ惜しむらくは、彼のサイトには、いくつかの問題がありました。その第1は、読みにくさです。行間が詰まりすぎている上に、背景画像が文字を邪魔しがちでした。第2はナビゲーションが良くないことでした。1つのファイルに最初は1年半、今でも数ヵ月間は、ファイルの上部に日記を書き足しています。いつも新しい記述がトップに出てくるので、たびたび訪れる者には良いのですが、文書内リンクを全く使わないので、必要な情報を得るには、ひたすらスクロールし、読み続ける他ありませんでした。第3に、ファイル名をつけていないので、検索エンジンでヒットした場合でも内容が分かりません。しかもトップレベルの見出しに画像文字を使っているため、GoogleやYahooなどで「高橋健三」を検索しても上位には出て来ませんでした。
 こうした問題がおきた原因は、サイト制作を「ホームページ作成ソフト」に完全に依存していたためです。「ホームページ作成ソフト」は、タグの知識がなくてもホームページをつくることが出来る点を〈売り〉にし、さらに見栄えを重視するため、画像や画像文字で飾り立てる傾向があります。しかし、画像文字では検索にひっかかりません。視覚障害者が使う読み上げソフトも、これではお手上げです。やはり、HTMLファイルの制作にあたっては、基本的なタグを理解し、どのようにすれば読みやすく、またサイトの全容をつかみやすいナビゲーションを考える必要があります。
  そんな思いで、2年ほど前から、彼のホームページに対する批判的意見を伝えて来ました。さらにトップページについては、1年半ほど前に、私が勝手に作り直したものを送って、使ってもらうようにしました。しかし、これも見る度にレイアウトの崩れがひどくなるので、ソースを見たところ、ホームページ作成ソフトが勝手にタグを書き変えるのが原因と分かりました。そこで今回は、ホームページ作成ソフトはやめ「HTMLエディター」を使うよう頼んだ上で、参考ファイルを送っています。慣れるまではちょっと大変そうですが、それほど複雑なタグは使っていないので、すぐ覚えることでしょう。内容豊富なサイトですから、皆さまもぜひ一度お訪ねくださるよう、私からもお願いいたします。
〔2006.9.25記〕



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Written and Edited by NIMURA, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
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