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第1部 比較労働史研究


第1巻 『日本労使関係の比較史的検討』

 第1章 企業別組合の歴史的背景〈補訂版〉 (2015.12.28)English

  「日本の労働組合が企業別組織であるのは何故か」という疑問を、もっぱら労働市場要因によって説明してきた大河内一男氏らの通説を批判し、問題の解明をこころみた論稿。著者が戦後労働組合運動を論じた最初の作品であり、著者のその後の研究にとってもひとつの画期となった論文。(この点については回顧座談会における発言参照)
初出は法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』No.305、1984年3月。2015年暮、新たに注を加え、文章も部分的に改訂した補訂版と入れ替えた。論旨に変更はない。なお、補訂前の元版も残してある。


 第2章 日本労使関係の歴史的特質 (1997.9.25掲載、2000.4.12補正) English

  日本の労使関係の歴史的特質を探り、つぎの諸点を指摘した論稿。1)クラフト・ギルド、クラフト・ユニオンの伝統の欠如、2)戦前から1950年代の労働組合運動においてブルーカラー労働者が差別に対する強い憤懣を抱いていたこと、3)この差別に対する憤懣が敗戦後の企業民主化要求の背景にあり〈工職混合組合〉を成立させた動因であったこと。
1986年5月の社会政策学会大会における報告をもとにまとめたもの。初出は社会政策学会編『日本の労使関係の特質』(社会政策学会年報第31集、1987年、御茶の水書房刊)所収。  


 第3章 日韓労使関係の比較史的検討 (1997.9.25掲載、2000.4.12補正)English

  労働組合の組織形態が企業別であるなど共通するところの多い日韓両国の労使関係の特質を、欧米の労使関係の歴史との比較において検討した論文。両国間の共通性と同時に、経営主体の性格の違い、意思決定において合意形成を重視する日本に対し、強力なリーダーシップを期待する韓国という違いがあることなどを指摘している。
本稿は、1996年10月7日に韓国仁荷大学校において開かれた第二回韓日交流シンポジウムに提出した報告書をもとに加筆したもので、初出は『大原社会問題研究所雑誌』No.460(1997年3月)である。その後若干の補訂を加え、法政大学大原社会問題研究所編『現代の韓国労使関係』(1998年、御茶の水書房刊)に収録された。


 第4章 日本における職業集団の比較史的特質
─ 戦後労働組合から時間を逆行し、近世の〈仲間〉について考える
(2001.11.20掲載) English

  各国の労使関係・労働運動と工業化前の社会関係との関連を指摘し、日本近世史研究者、とりわけ都市史研究者に、近代との関連を意識し、国際比較的な視点にたった研究の必要性を訴えた論稿。具体的には、戦後日本の労働組合がブルーカラーとホワイトカラーが一体となって企業別組織を構成するという独特の個性をもっていることの歴史的根拠をさぐるため、時間を逆行しつつ明治の労働組合運動、労働者集団について検討し、さらに江戸時代の〈仲間〉をヨーロッパのギルドと比較し、その特質の解明をこころみている。
初出は、大阪市立大学経済学会『経済学雑誌』第102巻第2号(2001年9月20日)。



 第5章 戦後社会の起点における労働組合運動 (1997.9.25掲載、2000.4.7補正) English

  敗戦直後の日本の労働組合運動について検討。具体的には、日本の労働組合はなぜ企業別になったのか、また欧米には例のない、ブルーカラーとホワイトカラーの同一組織なったのはなぜか、といった謎の解明を意図した論稿。さらに戦後労働組合運動におけるホワイトカラーの独特の役割を検討している。
初出は、渡辺治他編《シリーズ 日本近現代史 構造と変動》4 『戦後改革と現代社会の形成』(岩波書店、1994年刊)、所収。第2巻と重複掲載。


★ 補 「工員・職員の身分差別撤廃」 (1998.9.25掲載)

  『日本労働研究雑誌』no.443(1997年4月号)、特集「キーワードで読む戦後の労働」の1項目。のち、高梨昌・花見忠監修『事典・労働の世界』(日本労働研究機構、2000年)に収録。




第2巻 『日本労働運動・労使関係史論』

 第1章 日本の労働運動──1868〜1914年 (98.9.26掲載) English

  本稿は、1987年にアムステルダムの社会史国際研究所が組織した28カ国・地域の労働運動の生成に関する国際比較研究プロジェクトに参加した際に提出した英文論稿の日本語版である。欧米の生成期の労働運動で重要な役割を果たした職人が、日本の労働運動ではきわめて弱体であった事実を明らかにし、その原因を解明している。なお編者から、冒頭で、各国の政治・経済の概況について記すことが求められていた。もとの英文は、Marcel van der Linden & Jürgen Rojahn(ed.),The Formation of Labour Movements 1870-1914: An International Perspective, Vol.II(E.J.Brill, 1990)に収録されている。
日本語版は本著作集が初出。


  第2章 第一次大戦前後の労働運動と労使関係──1907〜1928 (2000.3.18掲載) English

  岩波講座『日本歴史』18 近代5(1975年刊)に「労働者階級の状態と労働運動」のタイトルで発表した論文。編者から「日露戦争期から評議会解散までの労働者階級の状態と労働運動について検討すること」が課題として与えられ、執筆したものである。


 第3章 戦間期日本の労働運動──1917〜1940 (2000.6.20掲載)

  『労働運動史研究』第50号(1969年6月)に「戦前における労働運動の本格的発展と敗北」のタイトルで発表。第一次世界大戦から第二次世界大戦まで、戦間期の日本労働運動の歩みを概観することを課題として与えられて執筆した。


  第4章 第二次大戦以降の日本労使関係──1940-1993 (2000.7.24掲載) English

  1993年7月に、オーストラリアのウロンゴング大学(University of Wollongong)で開かれた《日本とオーストラリアの労使関係史の比較研究》プロジェクトにおける報告の元原稿。英文版はJim Hagan & Andrew Wells(ed), Industrial Relations in Australia and Japan, Allen and Unwin, 1994に掲載。
日本語は本著作集が初出。


  第5章 戦後社会の起点における労働組合運動 (1997.9.25掲載、2000.4.7 補正) English

  敗戦直後の日本の労働組合運動について検討。具体的には、日本の労働組合はなぜ企業別になったのか、また欧米には例のない、ブルーカラーとホワイトカラーの同一組織なったのはなぜか、といった謎の解明を意図した論稿。さらに戦後労働組合運動におけるホワイトカラーの独特の役割を検討している。
初出は、渡辺治他編《シリーズ 日本近現代史 構造と変動》4 『戦後改革と現代社会の形成』(岩波書店、1994年刊)、所収。第1巻と重複掲載。




第3巻 『日本労働史研究案内』

 日本労働組合評議会史関係文献目録および解説 (2000.4.14掲載)

  1925(大正14)年から1928(昭和3)年にかけて存在した左翼労働組合全国組織に関する研究を総括した小論。みすず書房『現代史資料月報』1965年10月に寄稿。


 文献研究・日本労働運動史(戦前期) (2000.3.25掲載)

  労働問題文献研究会編『文献研究 日本の労働問題《増補版》』(総合労働研究所、1971年)に寄せた論稿。大河内一男氏らの労働組合史理解に反対し、労働争議研究の重要性を強調している。この研究史論文については「大原社会問題研究所との43年」を参照。


 研究動向・労働運動史 (2000.4.2掲載)

  初出は、日本経済学会連合編『経済学の動向』中巻(東洋経済新報社、1971年)の第9部「社会政策」第6章。塩田庄兵衛、中林賢二郎の両氏との連名であるが、ほとんどは二村の執筆である。両氏が加筆された「社会主義政党史」に関する箇所〔約40字〕と関連文献1点は、ここでは削除した。


1960年代における日本労働問題研究の到達点
─ 兵藤釗『日本における労資関係の展開』に寄せて
(1997.11.18掲載)

  いまや古典となった兵藤釗氏の処女作を、大河内一男氏の研究成果と対比しつつ紹介、論評した研究史的書評論文。初出は『季刊 労働法』第80号(1971年6月)。


日本労働運動史参考文献案内 (2000.4.10掲載)

  是枝洋氏と共同で、初学者のために執筆した「日本労働運動史参考文献案内」(歴史科学協議会編『歴史科学への道 上』(校倉書房、1976年所収)。25年も前、データベースやインターネットを利用しえなかった時期の論稿で、今となってはほとんど実用上の価値はない。ただ、冒頭で最低限の追補をおこない、新しい時代へのとりあえずの対応を試みている。


 研究動向・労使関係・労働運動 (2000.4.2掲載)

  日本経済学会連合編『経済学の動向』第2集(東洋経済新報社、1982年)に、IX 社会政策第4章として執筆。


 労働運動史研究会の25年 (2000.3.31掲載)

  著者が創立期から関与し、事務局長もつとめた労働運動史研究会の四半世紀の歴史を総括した論稿。『労働運動史研究会会報』第5号(1983年4月)所収。


 企業別組合の歴史的背景 (1997.9.25掲載、2000.3.21 校正及び補正して再掲載)

  成立根拠論を中心に「企業別労働組合」研究を整理した研究史的部分をふくむ論文。同時に、戦後日本の労働組合を単に企業別だけでなく、ホワイトカラーとブルーカラーが同一組織に属している点を強調したもの。第1巻との重複掲載。
初出は法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』No.305、1984年3月。


 労働争議研究の成果と課題 (1998.9.26掲載)

『足尾暴動の史的分析』をまとめた後で、自分史的に「労働争議研究」の研究史を論じた論稿。関係文献一覧付き。
初出は、『労働運動史研究会会報』no.16(1988年6月)。


 1991年度歴史学研究会大会報告批判:近代史部会 (2000.5.18掲載)

  「労働者──その結合の形態と論理」を主題とする1991年度歴史学研究会大会近代史部会の報告に対する批判。検討の対象としたのは、石原俊時「19世紀スウェーデン社会と労働組合運動」、東條由紀彦「日本の労働者の自己意識の変遷について」、中国労働運動史研究会報告者集団「民国期中国労働者の構成・意識・組織」の3報告。
初出は『歴史学研究』No.627(1991年12月)。


★  「訳者あとがき」 (2012.8.10掲載)

アンドルー・ゴードン著 二村一夫訳『日本労使関係史 1853-2010』(岩波書店、2012)に付した「訳者あとがき」。文中で、原著である The Evolution of Labor Relations in Japan: Heavy Industry, 1853-1955. の研究史上の位置づけを論じている。





第10巻 『労働関連統計の再吟味』

 労働組合組織率の再検討──国際比較を可能にするために(1) (2000.10.17掲載)

  日本の労働組合組織率統計が組織実態を正確に反映していない点を指摘し、他の統計を使ってより実態に近い数値の算出をこころみた論稿。この(1)では、つぎの3点を指摘している。a)第二次大戦前の組織率と戦後の組織率とでは、基準となる労働者数、組合員数の定義や捕捉方法が異なり、そのままでは接合できない。b)戦前の組織率を戦後基準で計算し直すと約2分の1前後になる。c)しかし、戦前の労働組合は筋肉労働者だけの組織だったから、戦後基準で算出した数値では運動の実態が過小評価されてしまう。


 労働組合組織の再検討──国際比較を可能にするために(2) (未掲載)

  論文の後半は戦後の組織率について検討している。ここでは、推定組織率算出の分母となる労働者数に『労働力調査』の「雇用者」数を用いていることが、推計結果に大きな歪みをもたらしている事実を指摘している。つまり「雇用者」数は、本来的に労働組合員たりえない「会社役員」や法的に組合を組織することを認められていない警官や自衛隊員なども含む数値であり、これを分母に用いていることで、組織率は実際より過小となり、国際比較も不可能となっている。
そこで、この歪みを是正するため「国勢調査」「賃金構造基本調査」など他の統計を使い、より実態を反映する組織率、国際比較が可能な組織率の算出を試みている。


 第2次大戦直後の労働組合統計の吟味 (1997.9.25掲載、2000.4.7 校正・補訂)

  これは独立論文ではなく「戦後社会の起点における労働組合運動」の冒頭部分である。現在使われている労働組合統計の第二次大戦直後の数値には少なからぬ脱落があることを論証している。また、敗戦直後のホワイトカラー組合員の数やその組織率についても推計している。


 農商務省『工場統計表』の集計洩れについて (2000.3.18掲載)

  これも独立論文ではなく、岩波講座『日本歴史』18 近代5(1975年刊)所収の「労働者階級の状態と労働運動」の一部、それも「注」における指摘にすぎない。しかし内容的には、第一次大戦中の日本の労働者階級の増加を示す統計として広く使われてきた『工場統計表』の数値の信頼性に問題があることを『工場監督年報』の数値とくらべて指摘したもので、それなりの意味をもつと考える。回顧座談会参照。


 1880年代の鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(1) (2000.5.25掲載)
 1880年代の鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(2)  (2000.5.25掲載)

  古島敏雄氏をはじめ従来の日本経済史、賃労働史研究が「原蓄期」の労働者数について、たまたま残っている統計を吟味せずに使っているため、生産統計などと著しく矛盾した結論を出していることを批判し、新たに発掘したデータによって、この時期の鉱山労働者が通説をはるかに超える数であったことを明らかにした論稿。(1)(2)をあわせて「原蓄期における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味」(上)のタイトルで法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』第289号(1982年9月)に掲載。

 1880年代における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(3) (2000.5.30掲載)

  1880年代の鉱山労働者数を各府県ごとに吟味したもの。「原蓄期における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味」(下)として法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』第290号(1982年10月)に掲載した論稿の前半。

 1880年代における鉱山労働者数──明治前期産業統計の吟味(4) (2000.5.31掲載)

  1880年代後半から90年代初頭の産業別労働者数に関する研究が依拠してきた「会社種類別」の職工数が信頼できないことを指摘。最後に1875年の鉱山労働者数についても推計している。「原蓄期における鉱山労働者数」(下)として法政大学大原社会問題研究所『研究資料月報』第290号(1982年10月)に掲載した論稿の後半部分。






大原研究所をめぐって          エッセイ集


史料研究          英語論文


鉱業労働史研究          高野房太郎研究





【最終更新:

Written and Edited by NIMURA, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
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