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《編集雑記》18 (2009年1月〜 )

新年のごあいさつ





冲永賞受賞

この3月17日に、拙著『労働は神聖なり、結合は勢力なり ─ 高野房太郎とその時代』に対し、財団法人労働問題リサーチセンターから《冲永賞》をいただきました。財団法人労働問題リサーチセンターは、1985(昭和60)年4月、帝京大学の創設者である冲永荘一氏が労働省の許可をえて設立した財団です。医学部出身だった冲永氏が、なぜ労働問題研究に関心をもち、労働省を所轄官庁とする財団を設立されたのかは存じませんが、財団の目的は「労使関係、労働条件、雇用安定、労働者の安全・健康等の労働問題について、内外の関係機関と密接な連絡提携をとりながら、調査研究を行い、その成果の普及啓蒙に努めるとともに、労働問題研究に対する助成等を行い、これらの活動を通して労働問題研究の振興に寄与すること」です。
 冲永賞は、1986(昭和61)年に始まった賞ですから、今回は第23回ということになります。実は私は、その第1回冲永賞の授賞式にも出席しています。このときの受賞作品は法政大学大原社会問題研究所編『社会・労働運動大年表』でした。ですから、このときは私個人が受賞したわけではないのですが、当時、私は法政大学大原社会問題研究所の所長であり、また『社会・労働運動大年表』の編集代表でした。所長になったばかりで、研究所の予算獲得に四苦八苦していた時で、いただいた賞金50万円でパソコンを買うことができ、大喜びしました。そのときのことを思いだし、また法政大学や大原社会問題研究所から寄付を求められていたこともあって、今回いただいた賞金は全額、法政大学大原社会問題研究所に寄付しました。
〔2007.4.27記〕





拙著に対する小松隆二氏書評

 小松隆二さんが、拙著『労働は神聖なり、結合は勢力なり──高野房太郎とその時代』の書評を書いてくださいました。『大原社会問題研究所雑誌』No.607(2009年5月号)に掲載され、雑誌そのものは1ヵ月前に刊行されていますから、すでにご覧くださった方もあると思います。もしまだでしたら、このほどPDF版がインターネット上に公開され、どなたでも読んでいただけるようになりました。URLは、http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/607/607-13.pdf です。拙著については、早くからブログなどで好意的な紹介をしていただいていますし(相互補完本参照)、書評紙にもとりあげられました。しかし、今回は、専門研究者による初めての本格的書評です。たいへん高く評価してくださり、まことに嬉しくまた有難いのですが、同時に分に過ぎたお褒めの言葉があり、いささか身のすくむ思いがいたします。
 小松隆二さんは慶應義塾大学名誉教授であると同時に東北公益文科大学特任教授です。近年は公益学の提唱者として、東北公益文科大学創立の中心となり、初代学長として活躍されました。また日本公益学会、日本ニュージーランド学会という2つの学会を創立されたほか、学校法人白梅学園理事長、社会福祉法人小松福祉会理事長など、多方面で活躍されておられます。
 しかし、もともとは『企業別組合の生成』(御茶の水書房、1971年刊)にまとめられた、戦前期の労働組合史研究に関する一連の論稿で学界にデビューされた、労働運動史の専門研究者です。拙著と直接的に関わる研究論文としても、「わが国における労働組合思想の生成──佐久間貞一と高野房太郎を中心に」(慶應義塾経済学会『経済学年報』13、1970年3月)をはじめ、「日本における労働組合思想の導入過程──労働研究の成立と社会政策論」(『日本労働研究雑誌』366号、1990年4月)、「日本労働組合論事始」(『三田学会雑誌』83巻3号、1990年10月)などの論文を執筆され、本書をまとめる際にもいろいろ教えられました。また人物評伝の面でも、名著『大正自由人物語──望月桂とその周辺』(岩波書店、1988年刊)の著者として、才筆をふるわれています。高野房太郎評伝であると同時に日本の初期労働運動史研究である本書を正確に評価していただける数少ない研究者であり、まことに得難い書評家なのです。
 なお、高野房太郎が社会政策学会に初めて出席し、入会を許された研究会場の貸席「玉川亭(ぎょくせんてい)」を、私が岩三郎の回想に依拠して「玉泉亭」とした誤りをご教示いただきました。考えて見れば、岩三郎の後年の思い出より、同時点での房太郎日記の方が信憑性が高いはずで、岩三郎の回想の誤記を疑い、調べるべきだったと思ったことでした。
〔2009.5.26記〕





社会政策学会学術賞受賞

 

先週末、日本大学法学部で開催された社会政策学会第118回大会の総会席上で、拙著『労働は神聖なり、結合は勢力なり──高野房太郎とその時代』に対し、社会政策学会から第15回学術賞が授与されました。社会政策学会のホームページに、「第15回学会賞受賞作・選考委員会報告」が掲載されています。私が徒弟時代から、主たる研究の場としてきた社会政策学会の仲間から研究成果を評価されたのは、なんとも嬉しいことでした。とは言いつつ、いささか忸怩たる思いもあります。というのは、この学会賞制定の際は、私も幹事会の一員として議論に参加したのですが、もともとは若い研究者を励ます賞が必要だという主張で生まれた制度でした。その賞を定年退職から10年も経つ「後期高齢者」の私がいただいたのでは、賞の趣旨に反することになると感じているからです。ただ、実際に選考委員をつとめた経験からすると、会員の数多い作品のなかから受賞作を選び出すというのは、容易ならぬ作業です。15年の間に5回の「該当作品なし」があることが、その難しさを端的に示しています。どうしても若手の作品より、時間をかけたベテランの作品が選ばれる傾向があるひとつの理由でしょう。キングスレー館、神田区三崎町3-1所在
 ところで授賞式が行われた会場は、日本大学法学部本館第3講堂でした。この法学部本館は、日本大学の前身である日本法律学校の跡地です。しかし、同時にここは、奇しくも拙著の主要な登場人物である片山潜の住居跡であり、彼の活動の本拠であったキングスレー館の跡地でもあります。つまり、日本大学は、隣接地であるキングスレー館の跡地を購入し、ここに法学部本館を建てたわけです。本館の南半分が日本法律学校跡、北半分の中央部がキングスレー館跡地というわけで、第3講堂はまさにキングスレー館があった場所に位置しています。もっと詳しいことは、この《編集雑記》に掲載した「高野房太郎の旧跡探検(その7)──キングスレー館跡」をご参照ください。
 なによりここは労働組合期成会の機関紙『労働世界』の発行所であり、拙著でしばしば取りあげた片山潜・西川光二郎共著『日本の労働運動』の発行所でもある労働新聞社の所在地でした。幼稚園を経営することも事前に考え、キリスト教社会事業の本営とすることを目的とした広い家で、鉄工組合はじめ諸団体の会合もここで数多く開かれています。拙著『労働は神聖なり、結合は勢力なり』は、高野房太郎の評伝ですが、同時に日本の初期労働組合運動の研究であり、高野とならんで片山潜の再評価も重要なテーマのひとつです。さらに高野、片山は、ともに戦前の社会政策学会の会員でもありました。その点からも、キングスレー館旧跡に建つ会場において、拙著に対し社会政策学会学術賞が授与されたのは、因縁めいたものを感じさせる「出来事」でした。
 ところで、今回の学会賞は、私の長年の職場であった法政大学大原社会問題研究所にとっても、ちょっとした出来事になりました。それは私と同時に奨励賞が、榎一江著『近代製糸業の雇用と経営』(吉川弘文館)と宮坂順子著『「日常的貧困」と社会的排除−多重債務者問題−』(ミネルヴァ書房)に授与されたのですが、実は、榎一江さんはこの4月に法政大学大原社会問題研究所の研究員となられた方です。労働史専攻者として、いわば私の実質的な後任として大原社研で働いてくださっている榎さんとの同時受賞ですから、私にとっては二重の因縁がからんだ、まさに「事件」でした。
〔2009.5.27記〕






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Written and Edited by NIMURA, Kazuo
『二村一夫著作集』
The Writings of Kazuo Nimura
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